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秋草俊一郎 世界文学全集の「3000万読者」は誰だったのか

秋草俊一郎(日本大学准教授)
写真提供:photo AC
 今やかつてほどの隆盛を誇っていない世界文学全集。全盛期には、累計部数が2000万とも、3000万ともいわれるほどに売れ行きが良かった背景を、秋草俊一郎・日本大学准教授が論じる。
(『中央公論』2022年8月号より抜粋)

興隆の原点

 1950~60年代にかけて巻き起こった「全集ブーム」では、複数の出版社が次々と数十巻におよぶ新シリーズを立ち上げ、年間ベストセラーのリストにも全集の巻が複数ランクインするなど、現在から見れば信じがたい状況が続いた。

 その活況の一翼を担った世界文学全集の変遷を、2020年に刊行した拙著『「世界文学」はつくられる――1827-2020』(東京大学出版会)で取り上げたが、本稿では特に(類似商品である日本文学全集との違いを含めた)商品としての特質やその興隆・衰退の理由について論じてみたい。

 そもそも世界文学全集の淵源は昭和最初期の出版界を潤した円本ブームにまで遡る。1冊1円という廉価、箱入りの凝った装丁、収録作の事前確定、予約購読制・・・・・・といった、いわゆる円本商法のかたちを定めたのが、改造社『現代日本文学全集』(1926~31年)だった。

 この元祖円本の採用した販売戦略に大規模な新聞広告があり、全面や見開きの紙面を用いて、全国の新聞購読者に全集の予約を訴えかけた。当時の新聞に躍った『現代日本文学全集』のコピーとして、「善い本を安く読ませる! この標語の下に我社は出版界の大革命を断行し、特権階級の芸術を全民衆の前に解放した」というものがよく知られている。これは当時の改造社のカラーも反映したものだろう。

 しかし同じ円本でも、その翌年に刊行を開始した新潮社の『世界文学全集』(1927~32年)はそこまで露骨に階級意識に訴えたわけではなかった。いくつか当時のコピーを引用してみよう。

 

飜訳文学が西洋料理と一緒に消化し難いものだと思はれてゐたのは、明治の昔の事で、昭和の今日では、洋食も飜訳も余りに必要な日常糧食だ。紅葉・露伴を読まない者があつても、ジャンバルジャンを知らない者は子供の中にもゐない筈だ。(『読売新聞』1927年1月29日)

 

世界文学に親しむは、朝に汽車電車を利用し、夕に活動ラヂオを享楽する者の義務だ。屋根にアンテナを張つて書斎に本全集を具へないのは恥辱だ。従つて本全集の成果は、日本の民衆の世界に於ける文化的レベルを表示する好箇のバロメータァだ。(『東京朝日新聞』1927年2月15日)

 

『世界文学全集』の新聞広告は、新潮社の創立者であり、当時の社長だった佐藤義亮(ぎりょう)が自分ですべて手掛けたと後に述懐しているが、このようなコピーからうかがえるのは、生活の欧化と外国文学叢書の購入をセットとして消費者に刷りこもうという意識だ。実際にこの最初の世界文学全集である新潮社の全集の内容をあらためて見ると、中国文学がないのはともかく、ギリシア・ローマの古典文学も省かれ、かわって新潮社のお家芸とも言えるフランス文学を筆頭に、欧州(およびロシア)の近現代文学でほぼ占められていた(実はこの全集では後続の戦後の世界文学全集とは異なって、北欧文学に相当の頁数が割かれており、これも当時の北欧が日本が範とすべき文化先進国と見なされていたことと符合する)。

 つまり版元は特権階級を転覆しようという革命意識ではなく、むしろ昭和初期の庶民の素朴な上昇志向に訴えたのだ。その意味では同じ円本ブームの枠組みで語られがちな『現代日本文学全集』と『世界文学全集』は、販売戦略の点で大きな差があった。そして『世界文学全集』は後追い企画ながら、先発の『現代日本文学全集』を凌ぐとも言われる販売成績を収めたのである(一説によれば50万セットの予約を集めたという)。

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