秋草俊一郎 世界文学全集の「3000万読者」は誰だったのか

秋草俊一郎(日本大学准教授)

 最大の読者は誰だったか

 「耐久消費財」としての文学全集──世界文学全集が戸建ての住居の応接間に設(しつら)えられ、一種インテリアのように扱われたという逸話はよく知られている。実際にそのような需要もあったようだが、純粋に豊かさを誇示するアイテムとして扱われたというのはあまりに一面的な理解であるし、それだけの理由であれほどの全集ブームが現出したというのは考えにくい。

 なによりも、数ある戦後の世界文学全集のうち、最高の販売成績を収めた河出書房新社の全集(59~66年)は、廉価を謳った小型版の叢書で、装丁は緑一色の簡素なものであり、お世辞にも飾り映えするものとは言えなかった。この全集はその装丁の色みから「グリーン版」と呼び慣わされ、度々ベストセラーリストにも登場、投げこみ広告などでその累計部数は「2000万」、あるいは「3000万」とも吹聴された。生活水準の向上を示すアイテムのはずが、簡素な廉価版の全集が一番売れたという矛盾を解決するためには、世界文学全集の最大の読者は誰だったのか、という疑問に答えなくてはならない。

 グリーン版の67年の月報では愛読者カードの年齢・性別を公開していたのだが、それによると、19~20歳を中心にして中学生~20代前半ぐらいの層の読者が多い。同じく月報には度々「愛読者サロン」のコーナーが設けられ、勉強や生活のかたわらで海外の名作を読破する喜びを若い読者が語り合っている。当時の新聞広告を調べてみても、60年代に入ったころから中高生やその保護者を狙ったものが増加しているのが看取されるのだ。実際に河出書房新社は、グリーン版の完結後間もなく、シリーズ名からして明らかにティーンを意識した、同判型の焼き直し企画『〈カレッジ版〉世界名作全集』(66~67年)、『〈ポケット版〉世界の文学』(67年~未完)、『〈キャンパス版〉世界の文学』(67年~未完)といった全集を次々に刊行していくことになる。

 現在からすると、文学全集のような難解そうな書物を中高生が競って読んでいたというのは信じられない話だろう。読者層の若年化は、(日本文学全集とは異なり)世界文学全集に顕著な傾向だと思われる。ここで世界文学全集というコンテンツの特質を考慮しなくてはならない。日本文学と比したさいに明らかになる世界文学=外国文学の特徴とはなんだろうか。

 日本文学と比べて、外国文学はその「輸入」の過程で、政治的・社会的背景、さまざまなニュアンスが捨象されてしまう。実はこれは悪いことばかりではなく、母国語で書かれていれば子供に読ませるのがためらわれるような、風刺や批判、どぎつい描写が和らげられ、判別不能になるということでもあった。

 つまり適度に具体性を剝ぎとられ、抽象化されることで「読み物」化するという現象が起こる。たとえばジョナサン・スウィフトによる『ガリヴァー旅行記』は18世紀英国社会への辛辣な風刺を多分に含んでいたが、小人国や巨人国への旅行記という意匠の珍奇さから国外では広く若年層に読まれた。わからないからこそ読まれるという一種の逆説が外国文学には働いたのである。

 また外国文学は、翻訳を都度刷新することで原作をある程度読みやすくもできた。『源氏物語』はおろか、樋口一葉や森鴎外を中学生が読みこなすことは難しくても、適切な邦訳(翻案)さえあればシェイクスピアでもダンテでも一応は読破することができたのだ。

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