秋草俊一郎 世界文学全集の「3000万読者」は誰だったのか

秋草俊一郎(日本大学准教授)

 小説は有害か

  つまり、世界文学全集は低年齢層向けの商品となるだけの可能性を秘めていた。実際、「世界文学」ということばを冠した最初期の出版物に、明治の末から冨山房(ふざんぼう)より刊行された外国文学の翻案ものシリーズ「少年世界文学」(1902~04年?)があることからもわかるように、海外(とりわけ西洋)の名作の翻訳(翻案)を子供に買い与えるという文化は少なくとも20世紀初頭には根づいていた(ただし、子供向けの「世界文学」は日本ものや東洋ものも含まれていた点で大人向けと異なる)。

 では、なぜ戦後の一時期(50年代終わりから60年代)に、そのポテンシャルがもっとも発揮されたのか。

 矛盾するようだが、(児童に海外の名作小説を読ませることが推奨される以前から)「小説有害論」というのも一方で根強かったのである。明治の啓蒙思想家の中村正直(まさなお)が代表的なイデオローグだが、空想の物語に耽ることは有害であり、小説は家に置いてあるだけで「子弟を害す」ものだという説が流布していた。

 もちろん、その後に想像力を育むというような小説の効力も見直され、本邦の児童文学が整備されていくことになるのだが、小説は教育上よくないものという固定観念は残ったのである(小説有害論については堀越英美『不道徳お母さん講座――私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか』〔河出書房新社〕が紹介している)。

(続きは『中央公論』2022年8月号で)

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秋草俊一郎(日本大学准教授)
〔あきくさしゅんいちろう〕
1979年栃木県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専門は比較文学、翻訳研究。日本学術振興会特別研究員、ウィスコンシン大学マディソン校客員研究員、ハーヴァード大学客員研究員、東京大学専任講師などを経て、現職。著書に『ナボコフ訳すのは「私」』『アメリカのナボコフ』『「世界文学」はつくられる』がある。
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