西澤千央 ひな壇というシステムは何をもたらしたのか――「アメトーーク!」を起点に考える

西澤千央(フリーライター)

カリスマとひな壇の相性の悪さ

 私はここ2年ほど、ウェブメディアで集中的に女性芸人へのインタビューを行ってきた。容姿いじりがNGになるなど社会の価値観が変わっていく中で、からかいやいじりへの当意即妙な返しが成功の足がかりになるとされてきた女性芸人たちは今、どんなことを考えているのか。当初はお笑いにおけるジェンダーへの問題意識がインタビューの主なテーマだったが、取材を進めるにつれ、より浮き彫りになったのは、彼女たちが抱えている「孤独」だった。

「女芸人は特に、デビューが早かったり、テレビで売れるっていうのが多いじゃないですか。劇場で勝っていくとかじゃなくて。だから、やっぱり孤独そうやなって思うことが多い」(文春オンライン「女芸人の今」)

 これは、そのインタビューでの、Aマッソの加納愛子の言葉である。「○○芸人」に代表されるひな壇は、関係性の笑いで形作られてきた。女性芸人たちはその「関係性」の外側に「点」として長く置かれ続けてきたのである。

 養成所時代からその才能を高く評価されていたキングコングの西野亮廣(あきひろ)やオリエンタルラジオの中田敦彦(あつひこ)も、ひな壇という関係性の笑いからドロップアウトしたタイプかもしれない。

 二人は賞レース、ひな壇という芸人を評価する二大システムに馴染むことができなかった。かつての品川のように「メインの人よりウケたい」気持ちが強かったであろう二人は、スタンドプレーではなく、上手にパスを回しながら小さなゴールを決め合うことを求められるひな壇から、早々に去った。

 ひな壇はカリスマを作らない。関係性に染まらないからこそカリスマなのだ。ひな壇全盛時代に笑いのカリスマを諦めざるを得なかった彼らは、別のジャンルのカリスマになろうとして現在に至る。

 関係性の笑いが成立するには、視聴者もその関係性を把握していることが前提条件となる。8月18日に放送された「アメトーーク!」の「ジーンズ大好き芸人」の回には、草彅剛やケンドーコバヤシ、野性爆弾のくっきー!、さらに若手代表として四千頭身(よんせんとうしん)の都築拓紀(ひろき)が参加していた。番組中、気になったのは都築が話し出すと少し変な間(ま)が生まれ、スコーンと落ちることだ。それが繰り返されると見ている側は、だんだんと彼のターンが怖くなってくる。

 もちろん結果的に番組としては、その変な間さえ面白く編集されていたが、ひな壇が長く関係性の笑いに依拠してきた結果、異なる属性(ここで言えば若手)がたやすく弾かれてしまう、システム不良を起こしているのではないか、と。それは視点を変えればイジメの構造にも見えてしまうのだ。関係性を把握できている視聴者は笑えるが、きっと何も知らない人が見たら「あの人だけ蚊帳の外では」と感じてしまうだろう。

 かつての「アメトーーク!」は玄人っぽい関係性の笑いで、それを楽しめる視聴者に優越感を与えた。それが今、お笑いに詳しい人とそうではない人の「分断」を生んでいるのかもしれない。しかし、よりタフなファンを作ろうと考えるなら、一種の分断は有効な手段である。その結果「アメトーーク!」は強気な番組プロデュース(TVerにも参入せず、独自の有料配信サービスを運営)が選択できているのだから。


(続きは『中央公論』2022年11月号で)

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西澤千央(フリーライター)
〔にしざわちひろ〕
1976年神奈川県生まれ。『Quick Japan』『GINZA』「文春オンライン」など多くの媒体で執筆。11月に初の単著『女芸人の壁』を刊行予定。
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