高野秀行×伊藤雄馬 辺境で見つけた本物の語学力
全てが人と人との関わりから生まれる
伊藤雄馬氏
伊藤 歴史言語学は、言語の昔の形を遡って、系統を同じくする諸言語の共通の源となった言語である「祖語」を立てます。あるいは、言語を保存しようとするときもピュアなまま保存しようとします。でも、何をもってピュアなのかと考えると、必ず行き詰まります。「ピュアな日本人」と言っても、それが何を示すのかは絶対に問題になりますから。言語も同じです。言語をどこまで遡ればいいのかと考えるとき、まだヒトが猿やネズミだった頃のコミュニケーションまで辿ると、結局同根だという話になってしまう。日本語とムラブリ語は全く違う系統の言語ですけれど、ヒト以前まで考えるのなら、どこかで物理的な接点はあるわけです。そうすると、極論ですけれど、全部クレオールと言えないこともない。
高野 極論は、そうですよね。
伊藤 言葉は動的なものなので、人とは切り離せません。言語接触と言っても、日本語と英語が接触するなんてあり得ないわけで、人が接触している。それも「日本人が」ではなく、高野さんがどこかに行ってそこの誰かと接触する。
高野 個人の接触ですよね。
伊藤 そういう部分を、僕は忘れないようにしたいんです。研究していると、ついつい日本語、ムラブリ語と言ってまとめてしまう。しかし、それによって見落としてしまうことは多い。見落とさないために、どう捉えたらいいのかと考えています。高野さんの本を読んでいて最も悔しかったのは、現地の人たちにうけることです。言語学者は大体うけなくて、嫌われます(笑)。うけるとはいえ、高野さんも言葉を学んでいるとき、例えば飲み会で盛り上がっているのに、気になる表現があって「それなんて言うの」「もう一度発音して」などと聞くと、場がしらける。そんな経験がありませんか?
高野 よくありますね。つい最近もやってました。沖縄の宮古島で宮古語をまねして話していると、最初はうけるんです。徐々に耳で覚えられなくなってくるから、紙に書いて覚えようとして、「今なんて言ったの?」と言うと、「うるせえ!」(笑)。メモをとろうとすると、「そんなもんしまえ!」なんて言われるんです。
伊藤 聞き返されると、相手からしたら負担ですからね。
高野 勉強しようとすると、うざいと思われるんです。宮古語で「そんなもんしまって、蓋しとけ」と言われて悔しいから、その表現を覚えて、何か言われたら、「わかった、そんなもんしまって、蓋しとく」と宮古語で返すようにしてうける(笑)。そうして苦しんでいます。
伊藤 言語学者は、そうやって基本的に話の腰を折り続けるんです。怒られても、仕事だからと言って聞いたり、お金を払い教えてもらったりします。言葉を記録するための調査票もありますけれど、こちらの都合でしか作っていないことが多いんです。例えば最初の調査では身体部位から調べるのが定石なのですが、「鼻はなんて言うの?」と聞くと、単語だけではなく、「『嗅ぐ』はこう言う。あの花の匂いがいい」といった話もしてくれるんです。けれど、僕は「口」をなんて言うかを次に尋ねたいと思っているから、相手の話が終わると、「ありがとう、じゃあ、口ってなんて言う?」と聞く。すると、相手はがっかりします。
高野 話に流れが全然ないものね。
伊藤 僕はその聞き方が嫌で、会話をしながら知りたい言葉に到達するための文脈をつくって聞く調査をするようにしたんです。
高野 シチュエーションの中で出てきたものだけが正解であって、ただ単語だけ切り出して聞いても、実際とは違うものになっている可能性がありますよね。
伊藤 そうですね。例えば、苔を指して「これは何?」と聞くと、「石の毛」というふうに教えてくれたんです。おもしろい表現だと思って、他の人に言うと、全然通じない。(笑)
高野 説明してくれていたんだ。
伊藤 苔を知らないと思っていたのかもしれませんね。
高野 その状況、よくあります。何か聞くと、外国人の僕に対して、すごくきれいな表現で答えようとする人たちも多いです。タイ語だと、犬のことをなんて言うか尋ねると、「マァー」とは言わないで、「スナッ」と答える人がいる。でも、実際には誰も言っていない。
伊藤 書き言葉ですからね、「スナッ」は。
高野 魚も、タイ語教室では「プラー」と教えるけれど、実際は誰もそう言っていない。みんな、「パー」と言っています。
伊藤 タイでは、L(エル)の音が、綴り上はあるんですけれど、日常的には発音しません。そこは書き言葉と話し言葉の違いです。
高野 そういうことがとても多いので、僕は先生たちを信用しないんです(笑)。ネイティブ同士が話しているときの話が本物なんですよね。
(続きは『中央公論』2023年7月号で)
構成:小山 晃
1966年東京都生まれ。早稲田大学卒業。『ワセダ三畳青春記』(酒飲み書店員大賞)、『謎の独立国家ソマリランド』(講談社ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞)、『語学の天才まで1億光年』など著書多数。
◆伊藤雄馬〔いとうゆうま〕
1986年島根県生まれ。横浜市立大学客員研究員。原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)研究員。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員などを経て、独立研究に入る。著書に『ムラブリ』がある。