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「体験者から直接聞けない世代」が戦争を問うということ 戸部良一×小山俊樹

戸部良一(防衛大学校名誉教授)×小山俊樹(帝京大学教授)

満洲国という重荷

小山 先ほど戸部先生から支那事変の拡大は必然ではないという説明がありましたが、私は少し疑問があります。満洲事変が起きて、支那事変が起こらない世界というのはあり得たでしょうか。1933年に結ばれた塘沽停戦協定以降、日中は一時的に休戦状態に入りますが、関東軍は華北分離工作によって中国国内の分断を進めています。当時の広田弘毅外務大臣は中華民国との融和に努めますが、1932年の満洲国建国宣言が大きなネックとなり、日中交渉は進展しませんでした。

 日本は蒋介石に満洲国の黙認を強く求めます。蒋介石側も認めざるを得ないと考えていた時期もあるようですが、認めてしまうと国民政府を率いる自身の基盤を揺るがす問題になりかねない。蒋介石がのめない以上、対立構造は解消されないのですから、軍事衝突が勃発する可能性は十分考えられます。盧溝橋事件がなかったとしても、日中はどこかで全面衝突したのではないでしょうか。

戸部 確かに、日本側は支那事変の和平工作でも満洲国の承認という条件を出し続けますので、満洲国の存在が日中関係のネックになったのは間違いありません。満洲国は日中関係に刺さったトゲのようなもので、なかなか抜けないトゲをどう扱うか、日中両国のリーダーは悩み続けました。ただし、満洲国承認は日本側の絶対的な条件だったのか、支那事変の解決のために、一時的にでも要求を引っ込めることができたのではないかと考えます。

 それにしても、満洲国建国をなぜ日本政府はあっさりと認めてしまったのでしょうか。満洲事変における関東軍の武力行使は、自衛のため権益擁護のためということならば列国にも理解されたでしょう。しかし、日本は満洲を領有しなかったとはいえ満洲国を建国した。石原莞爾や関東軍の特別なアイデアだといえばそれまでですが、日本政府も、そして国民もこの計画に乗ってしまった。独立国家の樹立は、それまでの秩序を壊し、変えるという行為にあたります。

小山 満洲国の承認は齋藤実内閣の時で、外相の内田康哉は、承認に非常に前のめりでした。私が考えるに、内田は外相となる直前には南満洲鉄道の総裁だったので、満洲の重要性がよくわかっていた。満洲国建国によって中華民国政府や張学良との懸案だった満洲権益の回収問題などが、すべて有利に解決すると考えたのではないでしょうか。

 得たものが大きすぎて後戻りができなかったということもあると思います。さもしい考え方ですが、満洲国が建国されればそこにポストができて、出世街道から外れてしまった官僚にはそれが魅力的に映る。満洲を獲物だと見ていた人は多かったことでしょう。

 

(『中央公論』2021年9月号より抜粋)

戸部良一(防衛大学校名誉教授)×小山俊樹(帝京大学教授)
◆戸部良一〔とべりょういち〕
1948年宮城県生まれ。京都大学法学部卒業、同大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。博士(法学)。防衛大学校教授、国際日本文化研究センター教授、帝京大学教授などを歴任。主な著書に『逆説の軍隊』『昭和の指導者』『戦争のなかの日本』などがある。

◆小山俊樹〔こやまとしき〕
1976年広島県生まれ。京都大学文学部卒業、同大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。立命館大学講師、帝京大学講師・准教授を経て現職。著書に『憲政常道と政党政治』『評伝森恪』『五・一五事件』『近代機密費史料集成Ⅰ・Ⅱ』(編著)などがある。
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