小川寛大 戦時指導者リンカーンの実像
南北戦争という内乱
「人民の人民による人民のための政治を、地上から消滅させてはならない」
1863年11月19日、当時のアメリカ合衆国大統領、エイブラハム・リンカーンが述べた言葉である。ペンシルベニア州ゲティスバーグで行った演説の一節で、そこから俗に「リンカーンのゲティスバーグ演説」と呼ばれる。
当時、アメリカは未曽有の内乱、南北戦争のさなかにあった。そのころのアメリカに存在した黒人奴隷制度の是非をめぐり、奴隷制反対を訴える北部諸州に、奴隷を労働力とするプランテーションでの綿花栽培を主要産業としていた南部諸州が反発。1861年2月、南部諸州はアメリカ合衆国(United States of America)から離脱し、「アメリカ連合国(Confederate States of America)」という新国家を建設したと発表する。その翌々月、南部サウスカロライナ州で南北の軍事衝突が起こり、戦争が始まった。
内乱は1865年4月まで、丸4年にわたって続き、最終的に北部諸州が勝利してアメリカの奴隷制は終焉する。しかし、その戦いの中で南北双方合わせて約60万人が死んだ。第二次世界大戦でアメリカが出した戦死者は約40万人。第一次世界大戦では約11万人、ベトナム戦争では5万人ほどである。つまり南北戦争とはアメリカの歴史上、最も多くのアメリカ人が死んだ戦争であり、アメリカ人の価値観、歴史観に与えた影響は非常に大きいとされている。
ただ、このようなアメリカ南北戦争に関する細々とした知識を持たなくとも、エイブラハム・リンカーンという歴史人物を知らない読者は非常にまれだろう。
また、「人民の人民による人民のための政治」という彼の名言を聞いたことがないという向きも、ほとんどいないのではないか。これは、民主主義の理念を極めて的確に表した歴史的名言だとされ、現在ではフランス共和国憲法の第2条にも、共和国の原理として採用、記載されている。また中国の国父・孫文の三民主義も、このリンカーンの言葉に着想を得てつくられた。
さらには日本国憲法前文にある「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」という言葉も、ゲティスバーグ演説の理念を参考にしてできあがったものなのだ。
それくらい彼の名は現在、ゲティスバーグ演説の名文句とともに、自由と民主主義の偉大な擁護者として世界に知られている。