西田知己 「シン」流行は江戸時代から――新しさはなぜ"良いこと"になったか

西田知己(日本史学者)

松尾芭蕉の「新しみ」

 江戸幕府が開かれてから百年近く経過した頃、上方(かみがた。江戸時代に京都やその付近を指した呼び名)では元禄文化が栄えていた。多様に開花した文芸のうち、異色ともいえるほど速いサイクルで「新」から「新」への展開が実現していたのが、俳諧の世界だった。わずか17文字の文芸なので、理屈の上では量産しやすく、現に新作が短い周期で続々と詠まれていた。

 元禄期(1688~1704年)の俳諧を牽引した松尾芭蕉の初期の俳論には、詠句のスタイルが時代とともに変化して「俳諧年年に変じ、月月に新たなり」(『常盤屋之句合(ときわやのくあわせ)』跋文(ばつぶん))とある。しかも「年年」どころか「月月」のハイペースで新作が発表され、その回転の速さは今でいう日進月歩に通じる。しばしば年周期が意識されていた、昔ながらの「新米」「新酒」のような「新」とはペースが違う。

 のちに詠句の心がけとして結実したコンセプトが、「新(し)み」の追求だった。弟子の服部土芳(はっとりとほう)が筆録したとされる『赤冊子(あかぞうし)』では、まず「風雅の誠」を「せ(責)むる」人、つまり追求する人について書かれている。彼らはいつまでも同じ場所に安住せず、「一歩自然に進む」。探求心が後押しして、おのずと俳風が深化していくという。

 この議論の終盤に有名な「新みは俳諧の花也」があり、やはり「せむる」探求心と結びつけられている。絶え間なく探求する気概と交わり合ったとき、今後の展望を見据えた現代語的な「新」が形成されようとしていた。芭蕉の俳論にあらわれた「新(し)み」は、現在の私たちが感じる以上に、当時の人たちにとって印象的な響きがともなっていたように思われる。


(続きは『中央公論』2023年6月号で)

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西田知己(日本史学者)
〔にしだともみ〕
1962年鹿児島県生まれ。上智大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。専門は江戸文化。著書に『日本語と道徳』『血の日本思想史』『「新しさ」の日本思想史』『大江戸虫図鑑』など。
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