佐藤卓己×辻田真佐憲 戦前のメディア政治が現代に残した教訓
(『中央公論』2023年10月号より抜粋)
政治の論理、メディアの論理
──佐藤先生は、今年6月に刊行が開始された「近代日本メディア議員列伝」シリーズ(創元社)の編者を務め、1冊目の『池崎忠孝(ちゅうこう)の明暗──教養主義者の大衆政治』を執筆されました。池崎忠孝(1891~1949)は「赤木桁平(こうへい)」名義で評論家として活動したのち、『萬朝報(よろずちょうほう)』の論説記者などを経て、1936年から終戦まで衆議院議員を務め、戦後はA級戦犯容疑者として巣鴨拘置所に勾留された人物です(のち不起訴)。なぜ池崎のような「メディア議員」に注目したのでしょうか。
佐藤 一つには、メディア研究あるいはジャーナリズム研究と、政治研究が分かれていることによって、メディアと政治の連続性が十分に議論されていないことに対する問題意識があります。とりわけメディア研究者は、「権力の批判をするのがメディアのあるべき姿だ」というのが基本的なスタンスなんですね。ですが、戦前の日本ではジャーナリスト経験を踏み台として選挙に出て政治家になるルートは珍しくありませんでした。戦前の一番多い時期だと、1937年の第20回総選挙ではジャーナリスト経験者あるいは新聞社の経営者が、衆議院議員のうち3分の1以上を占めています。権力批判という視点だけでは、そうした「議席を持ったジャーナリスト」たちをどう扱えばよいのか見えてこず、メディアの実際の機能の一面しか捉えられないでしょう。メディア議員というある種の二股膏薬(ふたまたごうやく)ともいえる存在を扱うことで、政治とメディアの関係をもう少し客観的に見ることができるんじゃないかと考えました。
もう一つには、今の政治学で「mediatization of politics(政治のメディア化)」の問題がよく議論されていることがあります。ごく単純化すれば、政治が理念の実現を目指す「政治の論理」ではなく、影響力を最大化しようとする「メディアの論理」で動き、ある種のポピュリズムに陥る現象のことです。この用語はポピュリズム批判の文脈で使われることも多く、その場合「メディア化」は、煽動やプロパガンダのようなネガティブな位置づけです。
ただ、普通選挙体制の中で民意を獲得する、あるいは大衆を政治参加させる必要性を考えれば、影響力の最大化を目指すことは一概に否定できるものではない。より良い政治のためにそれぞれの論理のバランスをどうとればよいかを考える上で、メディア議員という両方に足場を持つ人たちの評伝が必要だと考えたわけです。
すでにメディア出身の政治家の評伝は、原敬や犬養毅、石橋湛山など 首相経験者を中心に、成功した人たちのものはたくさんあります。しかし、成功した人よりもむしろ失敗した人たちに、歴史の教訓としては学ぶべきものが多いと考えたのも池崎のような議員を選んだ理由ですね。
辻田 非常に興味深い問題意識だと思います。本書を拝読して考えたのは、売り上げ部数などの数字や読者の反響を気にしながらメディアに応じて自分の発言を微妙に変えていくという点で、自分を含めた現在の評論家の多くは池崎と似ているということです。知識人と聞くと、政治学者の丸山眞男のようにあくまで体制に抗う存在を想像しがちですが、じつは彼のほうがレアケース。むしろ数字を意識して世論と伴走する池崎のほうが、今の論壇やメディアで仕事をする自分と近しいのです。
また、メディアと権力は距離を取るべきだと一般論では言われますが、実際には関係性は深い。関係を持たないと深い取材はできないですし、ジャーナリストが政治家に転身することは現代でもよくあります。
メディアで発言する知識人のあるべき態度として「大衆を煽って戦争に導いてはいけない」「権力に近づきすぎてはいけない」とよく言われます。そのとおりなのですが、戦前のいろいろな例を見ると、それが空虚な文句に聞こえることもあります。
たとえば大日本言論報国会や日本文学報国会の会長を務めた徳富蘇峰は、戦後すぐは批判されていましたが、今では東京の馬込文士村に立派な記念館があるし、郷里熊本の水俣市役所前には巨大な銅像が立っている。文筆家ではないですが作曲家の山田耕筰は、国策団体の日本音楽文化協会会長で音楽挺身隊隊長だったけれど、現在も学校の音楽室に肖像画がかかっている。後世どう評価されるかはともかく、一人の人間として考えると、結局は世間の波に乗ったほうが生きやすいのではないか。池崎は今日では評価されていませんが、彼の生き様と自分のあり方を重ね合わせて、良くない「歴史の教訓」を導き出しそうになってしまいました。(苦笑)
佐藤 そうでしたか(笑)。政治学者の御厨貴さんが『東京新聞』でこの本の書評をしてくださって、池崎が職業評論記者から実業家、軍事評論家、政治家と転身していることに、「人はこんなにも職業を変えうるのか」と書いておられました。やはり、池崎が単なる評論家でなく政治家だったことが、言論の責任を問われる理由だと思います。それに対し、徳富蘇峰は一貫してジャーナリストだったがゆえに、政治的な責任を問う批判はやがて少なくなりました。
政治の論理は結果責任ですが、ジャーナリズムは心情論理であって、「正義だ」と思ってやっていれば結果に責任は持たなくてもいいと考える人は今も少なくない。ではメディア議員ならどう責任を取るべきか、そこは今日的な難問でもありますね。
今の政治家たちはみんなSNSで発信をしていて、誰もがメディア議員だと見ることもできます。かつては自分の意見を発表するには、新聞なり放送なり、まさにmedium(媒体)を通さなくてはならなかった。そうなると他者の目によるチェックがそれなりに入りますよね。でもSNSではそこを中抜きしてストレートに出せてしまう。すなわち自分がメディアの役割をも引き受けることでもあるのですが、その自覚や覚悟が、現代の政治家にどれだけあるのか。それはこの本を書きながら思っていたことでした。
辻田 他方で、はたしてどれくらいのジャーナリストが自身の信条だけに基づいて活動しているのかは疑問です。池崎もそうですが、ジャーナリズムは常に、どれだけ売れたか、今ならどれだけPV(ページビュー)を稼いだかという数字に直面させられている。すると、それに合わせて自らの信条を曲げざるを得ないことがどうしても出てくるのではないでしょうか。
佐藤 確かにジャーナリストも経営に近づくほど、そうした数字からは逃れられない面がありますよね。