佐藤卓己×辻田真佐憲 戦前のメディア政治が現代に残した教訓
「下からの物語」の危険性
──辻田さんの近刊『「戦前」の正体──愛国と神話の日本近現代史』(講談社現代新書)では、建国神話がいかに大日本帝国を支えていたかをひもとく中で、政府や軍部による押し付けによって神話がプロパガンダとして機能しただけではなく、民衆がこぞってそれを消費したことで国威発揚に結びついた点を指摘しておられました。池崎の本がベストセラーになった理由と通じるものがあるように思います。
辻田 日中戦争下に建国の精神だとうたわれた「八紘一宇」は、もとをたどれば日蓮主義者の田中による造語です。いわば民間が勝手にやっていたものが、政府にピックアップされることで戦時下の動員を支えるスローガンになった。そしてそれも政府だけの力ではなく、民間企業が「八紘一宇」をレコードや映画などで商品化することで広まっていったのです。「プロパガンダは上から押し付けられるもの」という観点のみに囚われていては、こうした側面はなかなか見えてきません。
最近は陰謀論や歴史修正主義が問題になっていますが、それに対してはファクトやデータを持ち出せば説得できるという意見が流行しています。なぜそういった主張が流行するのかを考えてみると、社会を学校のように捉えているからではないかと思うんです。
学校というのは、先生が真理を担っていて、生徒を啓蒙する枠組みで成り立っています。問題は市民社会にそれが当てはまるのかどうか。少なくとも日本では、市民社会はフラットだということになっています。経歴や資産の多寡に関係なく一人一票を持ち、全員平等であることを前提に社会が形成されている。そこでは学校モデルはあまり有効に機能しないと思います。説得の手段としてファクトやデータを示して、「資料1、2、3によれば、あなた方が信じている物語は論外です」と言っても納得してくれないケースが大半でしょう。
佐藤 学校モデルで考えるとまずいというのは全く同感です。『「戦前」の正体』でも書かれていたように、権力側、つまり上から与えようとしている物語よりも、実は下から上がってくる物語のほうが危険だし有害であることが多い。
学校モデルは上から下に伝達されることを前提にしていますが、大衆社会のコミュニケーションのありようはそうではない。その部分を読み違えて、「神話は権力者がつくる」という別種の陰謀論に回収しても片付きません。人々が持っている、妄想も含めた欲望が神話化されやすいというのは、今も昔もおそらく変わらないでしょう。それをきちんと描き出した点で、辻田さんの本には大変リアリティを感じました。
(続きは『中央公論』2023年10月号で)
構成:斎藤 岬
1960年広島県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。東京大学新聞研究所助手、同志社大学文学部助教授、国際日本文化研究センター助教授などを経て現職。専門はメディア史、大衆文化論。2020年に紫綬褒章を受章。『大衆宣伝の神話』『「キング」の時代』『言論統制』『輿論と世論』『ファシスト的公共性』『流言のメディア史』など著書多数。
◆辻田真佐憲〔つじたまさのり〕
1984年大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『日本の軍歌』『大本営発表』『防衛省の研究』、共著に『教養としての歴史問題』『新プロパガンダ論』、監修書に『満洲帝国ビジュアル大全』、共編書に『文藝春秋が見た戦争と日本人』などがある。