加藤聖文×及川琢英 関東軍の「独走」はなぜ起きたのか――「鉄砲を持った役人集団」の失敗から学ぶもの
専門家集団の統制の難しさ
──現代の組織不祥事には、トップの技術部門に対する無理解が原因となるものがあると思います。当時の政府と関東軍の関係と共通する点はありますか。
加藤 「文民統制」ができなかったという点では似ているところがあると思います。しかし当時、文民統制が徹底されていた軍隊は世界的にも少数だったので、そこまで日本が特異だったわけではありません。
及川 関東軍は、関東都督府(関東州と南満洲鉄道を所管)改革のなかで生まれました。都督は軍人が就任して部隊を統率しており、文民統制組織だったとはいえません。文官都督論も出たのですが、結局、文官が兵権を持つことにはならず、文官の民政長官と並列的に関東軍司令官が置かれています。なお、関東都督のカウンターパートであった中国の東三省総督は文官でも兵権を持ちえました。
加藤 政軍関係の難しさは、やはり軍事の高度な専門性によるところが大きいですね。もちろん行政官庁であっても、道路行政であれ保健医療であれ専門性は高いわけですが、軍事は機密も多く、外部の人間には理解できない領域がひときわ大きいと言えます。
しかも失敗したときの被害が甚大で、政治家を含め国家の中枢を担う人間が「知らない」では済まされない分野なのだと思いますね。
及川 徴兵制が敷かれていた時代なので、今よりは軍事に詳しい政治家も多かったと思うのですが、それでもやっぱり文官に統率させることにはならない。伊藤博文が韓国統監時代に兵権まで持ったというのは、元老の伊藤だからこそできたのでしょう。
──軍事技術が急激に近代化し、組織のトップがそうした専門知についていけなくなったのでしょうか。
加藤 それも要因の一つですね。第一次大戦を契機に、飛行機や戦車、潜水艦といった新型の兵器が現れ、軍事技術も高度化し、非常に専門性が高まりました。文民にとって軍事はますます理解が難しいものになり、軍部の意見を信じるしかなく、言われるままに最新鋭の兵器を購入するという状態になってしまいます。
これは現在も似た状況で、さかんに脅威が強調されて戦闘機や戦車が購入されていますが、よく考えれば陸上自衛隊が所有する最新鋭の戦車を、日本の島嶼部でどうやって使うのだろう、と気になります。それだけの戦車でないと伍することができない敵国の戦車が海を渡ってくるのであれば、現実の運用上はそれらを運ぶ船を攻撃することを優先すべきなのかもしれない。大局的なグランドデザイン(戦略)がないまま、個別の戦術がバラバラに走ってしまう傾向は今もある気がします。
及川 グランドデザインの策定は明治の元老たちがその役割を担っていたわけですが、彼らの退場にあわせて文官により多くの権限を持たせることも必要だったと思います。ただし、兵権を文官に持たせることは、おそらく国民からも支持は得られず、軍人が統一的な戦略を担う状況が続いてしまったのでしょう。
(後略)
構成:柳瀬 徹
1966年愛知県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程修了。専門は日本近現代史、東アジア国際関係史、アーカイブズ(歴史記録)学。著書に『満鉄全史』『「大日本帝国」崩壊』『満蒙開拓団』『国民国家と戦争』『海外引揚の研究』など。
◆及川琢英〔おいかわたくえい〕
1977年北海道生まれ。北海道大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。中国の東北師範大学、吉林大学で外教専家(外国人教員)として勤務後、現職。著書に『帝国日本の大陸政策と満洲国軍』『関東軍─満洲支配への独走と崩壊』がある。