8月15日で終わらなかった「日ソ戦争」の悲劇――「忘れられた戦い」が戦後日本の運命を決めた
忘れられた最後の地上戦
――ソ連の対日参戦について、満洲や南樺太などでの個別の戦闘を超え、「戦争」という枠組みで捉え直したことへの評価や反響も耳にします。
麻田 ウクライナ出身の歴史学者、ボリス・スラヴィンスキーの『日ソ戦争への道』は日本語訳もされているのですが、「日ソ戦争」という呼称は定着していないのが実情でした。両国の参加兵力が200万人を超え、朝鮮戦争や東西冷戦、残留孤児や北方領土問題など、その後に私たちが体験することになる戦後の状況の起点となった「戦争」を知ってもらいたいという思いは強かったですね。
山添 日ソ戦争の概念が周知されなかった理由は、「はじめに」でも触れられていますが、米英中3ヵ国との戦争と違って、日本が始めたのではない日ソ戦争が位置づけにくいことも大きかったと思います。
そして、「最大の壁は史料だ」と書かれているように、ソ連自身の文書や関東軍から鹵獲(ろかく)した文書は長らく非公開でした。ですが近年は利用可能な文書が増え、研究が少しずつ進みました。ロシア、中国、モンゴル、朝鮮などの地域をまたぐ研究者も増え、麻田さんも編著『ソ連と東アジアの国際政治』をまとめられ、その中で日ソ戦争の研究も進みました。麻田さんは『日ソ戦争』で、鹵獲関東軍文書を含めてそれらすべてを活かし、伝えてくださっているのです。それでも日ソともに史料の欠落は残りますが、なおも不明な問題は丁寧に説明されています。
――日ソ戦争研究が進まなかったのは、史料の少なさが最大の要因なのでしょうか。
麻田 私は史料的制約に加えて、二つの「神話」が影響していたと考えています。
一つはアメリカが打ち出した「原爆神話」。2度の核攻撃がアジア・太平洋戦争を終わらせた決定打だったというアメリカ側の説明が、日ソ戦争の影響を核攻撃より軽く見させた面がありました。
もう一つは「8月15日神話」。メディア史家の佐藤卓己先生が『八月十五日の神話』で詳細に論じられていますが、玉音放送で終戦を迎えたというストーリーが、その後も続いた戦争を覆い隠してしまったと思います。また同じ45年に戦禍のあった硫黄島、沖縄、広島、長崎と違い、日ソ戦争は現在の日本の領土外、あるいは施政権の及ばない地域で起こったことも、焦点を当てにくくしてきたと感じています。
山添 6日の広島、9日の長崎と来てお盆と重なる15日という流れで、戦争体験を想起するストーリーが再生産されやすかった面があるのでしょうね。また東京大空襲や、沖縄の凄惨な地上戦も、今ある日本の土地と人々に関わる話です。一方、シベリア抑留や北方領土などは切り離された土地での話です。南樺太はかつて大勢の日本人が生まれ育つ地だったことも忘れられつつあり、大規模な地上戦で5000人以上の犠牲者が出たにもかかわらず、見過ごされがちです。これらのソ連関連の問題は意識して語らないと、「過ぎた話」となりやすい危うさがあります。