平山亜佐子 断髪とパンツーー男装に見る近代史 男装はエロからグロへ
第十四回 男装はエロからグロへ
平山亜佐子
明治から戦前までの新聞や雑誌記事を史料として、『問題の女 本荘幽蘭伝』『明治大正昭和 化け込み婦人記者奮闘記』など話題作を発表してきた平山亜佐子さんの、次なるテーマは「男装」。主に新聞で報じられた事件の主人公である男装者を紹介し、自分らしく生きた先人たちに光を当てる。
軍国少女、満洲を目指す
少年のような女性「ギャルソンヌ」が登場する翻訳小説『恋愛無政府』が出版され、男装のマレーネ・ディートリッヒが歌う映画『モロッコ』が日本で封切られ、男装の水の江瀧子の人気に火がつくなど、「男装の年」といえるほどの盛り上がりを見せた、1930(昭和5)~31(昭和6)年頃、男装をして諜報活動に乗り出した一人の女性がいる。
女性の名は永田美那子という。
1896(明治29)年に石川県小松町(現小松市)の旧家に生まれ、8歳のときに貯金を役場に持っていき、「兵隊さんのために使ってください」と差し出して地元新聞に大きく載った。日清日露の戦間期、高まる軍国主義の気運をもろに受けた軍国少女だった。1912(大正元)年に乃木大将夫妻が自害したときには座敷中を転げ回って泣いたという。
高等女学校を卒業すると親の勧めで呉服問屋を営む従兄と結婚。店を切り盛りしながら一男一女をなすなどして15年間は平穏に暮らしたが、たまたま持っていた共産党の新聞「赤旗」を特高警察に見つけられて1ヶ月拘束された際、婚家が助けてくれなかったことに憤った美那子は、子どもを置いてそのまま家を飛び出してしまった。
1929(昭和4)年9月、33歳で上京。俳優、女中の職を転々とした後、陸軍省発行の「つはもの」記者を経て、黒岩周六率いる「萬朝報」の嘱託となる。
1931(昭和6)年9月18日、満洲事変の発端となる柳条湖事件が勃発すると、従軍記者に志願して一路満洲を目指した。