皇后・女性皇族の戦争――「香淳皇后実録」を読む
原 武史(明治学院大学名誉教授)
昭和の戦争で、皇后・女性皇族はどのような役割を果たしたのか。著書『皇后考』など近現代の皇后に強い関心を寄せてきた政治学者・原武史氏が、2025年10月に公開された「香淳皇后実録」を読み解く。
(『中央公論』3月号より抜粋)
(『中央公論』3月号より抜粋)
- 戦時体制と皇后
- 日中戦争と各妃の差遣
戦時体制と皇后
明治以降の皇后は、天皇との間に役割分担が確立されていた。天皇が主に政治や軍事を担うのに対し、皇后は女子教育の奨励や養蚕、病院への慰問などを担った。
戦争が勃発して傷病兵が増えると、皇后の役割も増した。1894(明治27)年に日清戦争が勃発したときには皇后美子(はるこ/昭憲皇太后)が広島の陸軍病院や呉(くれ)の海軍病院を訪れ、傷病兵を慰問した。
1937(昭和12)年に勃発した日中戦争と41年に勃発した太平洋戦争は、日清戦争よりはるかに大規模な戦争だった。それに伴い、香淳皇后は前例のない行動をとる。38年に皇族妃や王族妃を全国各地や植民地、租借地に差遣(さけん)し、病院を慰問させたのに続き、43年にも皇族妃や王公族妃を全国各地に差遣し、女性たちの働きぶりを視察させたのだ。
なお王公族とは1910(明治43)年の韓国併合後の旧韓国皇帝とその一族のことで、旧皇帝の直系を王族、傍系を公族と称した。
日中戦争の勃発以降、毎年秋に続けられてきた昭和天皇の陸軍特別大演習統監や地方視察は中断された。男性の皇族や王公族は軍人として東京を空け、戦地を視察することが多くなった。
一方、皇族妃や王公族妃の存在感は、戦争の長期化に伴い、かつてないほど浮上した。「国母」としての皇后の存在感もまた高まり、臣民に等しく愛情を注ぐ皇后の「仁慈(じんじ)」が強調されるようになった。
では、昭和の戦争は明治以来の皇后の役割を変えたのだろうか。昨年10月に公開された「香淳皇后実録」や、皇族妃の一人である梨本宮妃伊都子(いつこ)の日記の一部が掲載された小田部雄次『梨本宮伊都子妃の日記─皇族妃の見た明治・大正・昭和』(小学館、1991年)をもとにしながら、皇后や女性皇族が果たした役割について考えてみたい。
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