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せっかくの金融危機を世界は無駄にしている

ロナルド・ドーア(社会学者)

 所得分布を論ずる時、よく上位、中位、下位という概念を使う。国民を収入の一番高い人から、一番低い人まで並べ、上から一〇パーセント目の人の収入を上位、五〇パーセント目の人の収入を中位、九〇パーセント目の人の収入を下位とする。日本で最近心配されているのは、下位の数字がだんだん下がって中位とのギャップが大きくなってきていることである。米国の不平等化は、上位がますます高くなり、中位から離れていくという形で進んでいる。そして上位一〇パーセントの中でも、一番裕福な一パーセント(約三〇〇万人)がどんどん裕福になり、一九八〇年には国民の個人収入の総額の一二パーセントを得ていたのが、二〇〇七年には二〇パーセント以上となっている。収入でなく、財産で見ると、頂点の一パーセントが三三パーセントを所有している。

 アメリカは極端な例としても、同じ英語圏のイギリス、カナダ、オーストラリアでも、「天文学的報酬」が問題とされている。毎年、「労働者賃金上昇率一・五パーセント、社長の平均報酬上昇率二〇パーセント」などという数字が発表され、「けしからん」という意見が新聞の社説やテレビ討論などで表明されてきた。

 一方で、市場原理主義者はこう答える。「高額報酬は、特別な人材の正当な市場価格に過ぎない。市場原理を貫徹するよりほかに、いい経済政策はありえない」。道義主義者は、「それだけ社会に貢献しているのだから当然だ」という。右翼の政治学者は、「そんな批判は、嫉妬を利用してポピュリズムに訴えようとする政治家の偽善に過ぎない」という。討論戦術に長けた論者の反駁はいろいろある。

 しかし金融業、特に銀行・証券会社のボーナスがそのような討論の主たる「的」になったのは、二〇〇〇年代中期の信用バブルで市場の収益が膨張し、経営者やトレーダーが「稼ぐ」ボーナスがそれに比例して爆発的に大きくなってからだった。そして、その膨張した収益が、短期的利益追求のための投機的取引の産物に過ぎなかったことがバブル崩壊後に明らかになると、世界不況の犠牲者の憤りは頂点に達した。

 やがてパニックが収まり、二〇〇九年の秋頃に「回復の兆し」が信じられるようになると、失業率はまだ上昇しているのに、銀行、証券会社、ファンドだけは、政府の支援のおかげでばかに景気がよくなった。国有化されたイギリスのRBS、アメリカのAIGが危機以前の時代に劣らないボーナス計画を発表すると、もう忘れ去られたかと思われていたボーナス問題が二〇一〇年になってメディアを賑わすことになった。

ボーナスをめぐる論争

 イギリスでの論争の焦点は、ボーナス水準が適当であるかどうかということではなかった。保守党までもこの件については(自分の立場を「単なる嫉妬に基づいたポピュリズム」と一線を画そうとはしたが)好ましくないと言い、国内にコンセンサスはあった。問題はむしろ、何か規制を加えれば、銀行が皆ロンドンからチューリッヒ、ニューヨークへ逃げてしまうということであり、そのために「待った」がかかっていた。

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