せっかくの金融危機を世界は無駄にしている

ロナルド・ドーア(社会学者)

 ヨーロッパ大陸でも、英米と似たような論争が起きていた。二〇〇八年にドイチェバンクの頭取の誕生日を祝うディナーを公費で催したことが問題にされたドイツのメルケル首相は、マイナスイメージ払拭のためか、翌年、銀行幹部の年収の上限を五〇万ユーロまでにすべきだと表明した。フランスでは、二〇〇億ユーロもの公的資金を注入されたベ・エヌ・ペ・パリバ(BNP Paribas)が第2四半期の好業績と高級従業員のボーナス総額を発表して、メディアで激しく攻撃され、サルコジ大統領は官邸に銀行業界の大物を呼びつけて、ボーナスの規制を制定することを発表した。すなわち、€ボーナスは一年ごとではなく、稼いだ期間以降、三年かけて三分の一ずつ払うこと、 三分の一は現金でなく、ストック・オプションの形で払うこと、¡新雇用契約には最低ボーナスの保証をしないこと、である。BNPの頭取はその場で、ボーナス総額を半減することに同意した。

 イギリス人の一人として、「人を騙す金融商品の発明にしか優れていないわがイギリス」を嘆きたくはないが、規制を加えればシティから銀行が他国に逃げていくという脅しはホンモノかもしれないと思う。ということは、銀行従業員の報酬に関して一国規制主義は難しく、国際的に協調して各国が同水準にするしかない。

 幸いにして、その可能性はある。金融危機以来、G20だの、BIS(国際決済銀行)だの、FSB(金融安定理事会)だの、グローバル・システムの構造改革を検討しているメンバーは、おそらく所得分布の上位一パーセントに属する人だろうが、皆とにかく、自分たちも損するかもしれないので、金融制度の崩壊を避けたいと思っているはずだからである。

ボーナス問題が重要だった理由

 二〇〇七年以降の四年間、いろいろ重要な問題が論じられている中で、銀行のボーナスの問題が目立って重要だったのには、次のような理由がある。

 投資銀行の報酬制度は、給料より、「成果主義」のボーナスが中心となってきた。「成果」はたいてい、ギャンブル的取引での儲けで測られる。そのため、景気のよい時にリスクの大きい商品を作って、高値で売ったり、高い手数料で取引しようというインセンティブが強くなる。トレーダー個人には巨大ボーナスの累積があるため、銀行が倒産して職がなくなっても、一生豪勢に暮らせるわけだから、そのインセンティブに歯止めはかからない。ところが、景気が下り坂に入り始め、リスクが多くなって、リターンがどんどん不確実となると、皆一斉にリスクの高い証券資産を売ろうとする。そして二〇〇八年の時のように、システム全体がパンクする危険が出てくる。というわけで、ボーナス文化はリスク・テークを試みさせる過度のインセンティブとして、金融を永遠に安定させないシステム上の欠陥なのである。

 その認識に基づいて、二〇〇九年のピッツバーグのG20会合で、ボーナス規制の原則、その弊害を最小限にするガイドライン、六ヵ条規則が提案され、多少は国内法に取り入れた国もある。

 しかし、そのような制度修正は、実体経済に携わる人と金融業に携わる人との一対五、あるいは一対一〇といった給料格差を変えることができるような規制ではない。そのため、ウォール街を占拠しようとする人たちの憤慨、嫉妬、正義感に訴えるものにはなりえない。

 実際、優秀なアメリカの大学の卒業生の大半、そしてギークの大半が、メーカーやサービス業ではなく、その才能を"ずるい"金融商品を作ることに使い、大儲けが可能な金融業を目指す、という現状はなかなか変わらない。

 ウォール街占拠運動にエールを送りたいと思う。同時に、うっかりして暴力沙汰の末に支持を失わないように、極左にも、体制当局の挑発にも気をつけるように、と言いたい。

(了)

〔『中央公論』2011年12月号より〕

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