習近平の力量不足がもたらす新たな権力闘争

矢板明夫(産経新聞中国総局(北京)特派員)

見せかけだけの親民路線

二〇一三年七月十六日。筆者は出張先の黒竜江省黒河市という中露国境の町にいた。取材先に向かおうと、タクシーでホテルの駐車場を出ようとしたところ、目の前に三人の警察官が現れ、「いまは出てはいけない」と行く手を塞いだ。大物政治家、賈慶林氏が視察に来ているという。「『車列から見えないところで警備しろ』と無茶なことを指示されているから大変だ」と警察官の一人が不満そうにつぶやいた。

 習近平指導部は、発足直後の二〇一二年十二月に指導者の地方視察、海外訪問の際の警備体制を簡素化する方針を決めた。党幹部の特権に対する民衆の不満を和らげ、政権のイメージアップを図る狙いがあるとされる。

 この新方針によって、習近平氏が広東省を視察した際には道を閉鎖せず、乗っていた車列が一般市民の自動車と一緒に信号待ちしている様子が国営中央テレビ(CCTV)などで繰り返し流され、「民衆と苦楽を共にする最高指導者」として大きく宣伝された。

 トップが自ら"手本"を示したため、ほかの指導者は当然従わなければならない。しかし、厳しい警備体制をとらなければ、指導者はどこにも行けないのがいまの中国の実態だ。

 中国国内で発生する騒乱や暴動の件数は、二〇一二年に一八万件を超えたといわれている。その原因のほとんどは、官僚の不正と党幹部の腐敗だ。北京をはじめ各地方政府に対し、土地の強制収用や冤罪などを訴え、解決を求めている陳情者は全国で数十万とも一〇〇万人以上ともされる。政府や社会に対する不満を爆発させるテロや暴力事件は毎月のように発生する。

 このため、党中央の指導者が地方視察に出かける際には、安全を守るために徹底した情報管理と厳しい警備体制が不可欠だ。何かが起きれば、警備の責任者である地方トップの責任が問われるため、「道路を閉鎖せず、警備体制を減らせ」と指示されても、地方政府は従うわけにはいかないのが実態だ。指導者に同行している官製メディアの記者に発見されないように、車列が通る道での警察官の配置はやめたが、周辺道路や駐車場の中に分散させて警備するようになっただけだ。

 黒河の警察当局者によれば、今回の賈慶林氏の視察を警備するため、周辺の三つの県から計数百人の警察官に応援に来てもらった。昨年までの警備体制より、動員した警察官も、一人あたりの仕事の量も増えた。しかし、名目上では「簡素な警備を実施したことで、予算が減らされ、警察官たちがもらう警備手当も少なくなった」という。
「自分たちの人気取りのためには現場の苦労は全く考えない人たちだ」と、多くの警察官は習近平指導部のやり方に不満を持っているという。

かけ声倒れの改革と反腐敗キャンペーン


 習近平氏は政権誕生以来、新指導部の「親しみやすさと能力の高さをアピールするため」次々と新しいことを打ち出してきた。しかし、上記の例と同じように、現実にそぐわないものが多く、現場からは不満が上がり、発足してから約九ヵ月がすぎたが、実績らしい実績はなにも残していない。

 北京に近いある地方都市の党幹部は「最近の中央の会議録を読んでも、指導者がなにを言いたいのかよく分からない。中央の最新の方針を部下たちに伝えられない」と漏らしている。習政権が今年初め「会議には活発な議論が必要」として、「事前に秘書が書いた原稿をなるべく読まない」という新方針を決めたことへの不満である。

 新方針では中国共産党政権の長年の形式的な会議文化を否定し、参加者の即興発言を求めている。そのため、中央規律検査委員会などの中央レベルの会議でこれを実施した。

 中国メディアは、「習近平新政」の一環として「会議が面白くなった」「指導者の話が分かりやすくなった」と大きく宣伝した。しかし、「民主集中制」をとっている中国では、党組織の上から下まで徹底した意思統一を求められるという現実がある。このため、党中央で開かれる会議での指導者の発言は、「中央の意向」として、省、市、県、郷、村の各レベルの党組織によって順次開かれる会議で、伝達され、意思統一が図られる。

1  2  3  4  5