安田峰俊 白紙革命は習一強崩壊の号砲か?――若者が揺さぶる中国のこれから

安田峰俊(ルポライター)

抗議の拡大と収束

 ウルムチ火災は、人々の閉塞感が爆発する最後のひと押しになった。こうして抗議は他地域にも拡大する。

 11月26日夜から、中国各地で火災の犠牲者を追悼しようと、花束を持った市民や学生が集まり出した。現政権下での言論の締め付けに抗議する意味から「白い紙」を持ったり、建物から白紙をばらまいたりする動きも出た(白紙に書かれるスローガンを各自で想像してほしいという含意がある)。これが「白紙革命」という名称の由来だ。

 なかでも上海市内のウルムチ中路(ウルムチの名を冠した通り)に集まった市民の間では、「不要核酸要吃飯」(PCR検査はいらない、生活をさせろ)など四通橋事件の横断幕の文言と同じスローガンが盛んに叫ばれ、さらには習近平の退陣を要求する声も出た。

 判明している限り、抗議運動はウルムチと北京、上海のほか、石家荘(せっかそう)・鄭州・蘭州・西安・済南・南京・杭州・武漢・長沙・広州・重慶・昆明・ラサなど全国の20都市以上に及んだ。

 また、清華大学や中国人民大学などの名門校から、工程学院、西安美術学院といったマイナー校にいたるまで、中国全土の100校以上の高等教育機関で抗議集会が開かれた(白紙を掲げる抗議スタイルも、11月26日の日中に南京伝媒学院のキャンパス内で女子学生が始めたと言われている)。

 海外でもアメリカや欧州の各地、カナダのトロントなど、中国人留学生が多い都市を中心に数百~1000人規模の抗議運動が起きた。日本でも本記事冒頭の11月27日の集会を皮切りに、11月30日に新宿駅南口で1000人規模の集会、さらに12月3日に大阪で100人規模の集会がおこなわれている。

 もっとも、中国国内の運動は11月27日ごろまでにほぼ収束した。やがて11月末に党中央機関紙『人民日報』からゼロコロナの文字が消え、さらに12月中旬にかけて習近平政権が政策を一気に転換したことで、海外の運動の動機も弱まり、12月の2週目になると沈静化した。

 12月以降の中国では、ワクチン接種の徹底や医療体制の整備、治療薬の備蓄などが不十分な状態にもかかわらず、政権が唐突な政策変更をおこなったことで感染者が爆発的に増え、多くの死者が出て新たな混乱が生じた。だが、社会のこうした大転換が、かえってゼロコロナ政策末期の不満を「上書き」するかたちになったのも確かだった。

 また、活発な議論がなされていたTelegram(匿名性の高いSNS)のデモ関連グループの動きも落ち着き、23年に入ると、白紙革命ははやくも過去の話に変わってしまった。


(続きは『中央公論』2023年3月号で)

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安田峰俊(ルポライター)
〔やすだみねとし〕
1982年滋賀県生まれ。広島大学大学院文学研究科博士前期課程修了。立命館大学人文科学研究所客員協力研究員も務める。著書に『八九六四』(城山三郎賞、大宅壮一ノンフィクション賞)、『現代中国の秘密結社』『「低度」外国人材』など。ベトナム人不法滞在者の実態を描いた『北関東「移民」アンダーグラウンド』が2月に刊行。
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