高橋杉雄 戦争を防ぐために軍事の常識を知ってほしい

高橋杉雄(防衛研究所防衛政策研究室長)

戦争の最中に「入門」書を出版

──高橋さんは7月に『日本で軍事を語るということ──軍事分析入門』(小社刊)を出版されました。戦争の最中になぜ「入門」書を書こうと思われたのですか。


 軍事というものは、ある意味では特別なものではありません。戦闘機だろうと戦車だろうとエンジンで動き、普通の旅客機や自動車と本質的には違わない。軍が関わると通常は起こらないような「超自然現象」が起きるということはないのです。

 一方で、軍事力というのはやはり人を殺すものです。それを使うには重い決断が必要ですし、一度使い始めるとなかなか止めることができません。そして今回もまた、軍事力が使われた。冷戦が終わり、グローバリゼーションが進んでも、人類は結局、戦争をやめられないと考えざるをえません。

 折しも、日本は軍事、防衛を米国に頼っていればそれでいいという時代は終わりました。日本周辺の安全保障環境が厳しさを増し、日本は防衛費を大幅に増やし、主体的に防衛力を増強しようとしている。国民は納税者として、税金がどのように使われるかを理解し、検証していくことがますます重要になってくる。そのために、防衛問題を分析する上での手がかりを提供できればと思い、執筆しました。


──著書では、ご自身が「常識」と考えている軍事的な知識が社会にほとんど共有されていないことに気づいた、と書いておられます。たとえばどのようなことでしょうか。


 ロシアによるウクライナ侵攻が始まった直後、首都キーウが「3日で陥落する」との情報が拡散しました。国境から道路で約120キロ離れた街を3日で落とすというのは大変なことです。単純比較はできませんが、イラク戦争時の米軍の進撃速度は1日約30キロです。約120キロ離れたキーウに3日で到達するだけでも、1日約40キロ進まなくてはならない。つまり、イラク戦争当時の米軍の力をロシア軍が上回っているということになりますが、そんなことは考えられません。

 さらに、都市を攻略するには市街戦を強いられます。今ではウクライナの東部バフムトや南東部マリウポリでの市街戦がいかに厳しいものかが少しずつ知れ渡ってきました。キーウの人口は約300万人です。こんな大都市で市街戦を戦って数日で終わるわけがありません。

 このように、軍事常識では考えられない情報が国際的に拡散し、しかも日本国内の同業者たちがそれを鵜呑みにしていたことにショックを受けました。米国のシンクタンク関係者が言っているからというだけで、自分でその情報を評価もせずに流しているように見えました。


──軍事的な常識ではあり得ない情報がニュース番組などで散見されたわけですね。


 私がテレビに出始めてから最初の1、2ヵ月は、番組の出演者やスタッフに対し、本当に基本的なことを説明するところから始めなければいけない状況でした。良い例が「攻撃」です。「攻撃」と言うとき、ミサイルで街を「攻撃」することと、地上部隊で街を「攻撃」することでは方法も意味も全く違います。ミサイル攻撃では街を占領できず、ただ破壊するだけですが、地上部隊の攻撃であればその街を「占領」できます。ところが「攻撃」と言うだけだと、言葉では両者が区別できないこともあって、スタッフの方々が戦況を完全に誤解していることがありました。空爆は空からミサイルを撃ち込むだけです。今もキーウはミサイル攻撃を受けていますが、占領されていますか? 占領するためには地上部隊を使わなきゃいけないんです。このあたりを丁寧に説明したこともあります。

 また、黒海艦隊の旗艦「モスクワ」が撃沈され、ウクライナが使用した「ネプチューン」というミサイルが注目されました。しかし、あの事象の最大のポイントは、「ネプチューン」の性能よりも、「モスクワ」が敵であるウクライナに発見されてしまったことです。著書の中でも強調しましたが、戦場では「見つけること」が基本です。軍事の常識として、敵を見つけることがいかに難しいかが理解されていないと感じました。だって、映画『スター・ウォーズ』でも日本のアニメでも、敵は簡単に見つかるんですよね(笑)。戦場ではそんなことはあり得ません。

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