赤根智子×フィリップ・オステン プーチンに逮捕状を出した日本人裁判官が語る、逮捕の可能性と自身への「指名手配」

赤根智子(国際刑事裁判所判事)×フィリップ・オステン(慶應義塾大学教授)
赤根智子氏(左)、フィリップ・オステン氏(右)(オステン氏写真提供:時事)
 今年3月、国際刑事裁判所(ICC)はロシアのプーチン大統領に対する逮捕状を発付。その決定に携わった赤根智子判事と、戦争犯罪を研究するフィリップ・オステン慶大教授が対談した。
(『中央公論』2023年10月号より抜粋)

プーチンの逮捕状

──ロシアのウクライナ侵略が長期化し、民間人殺害やインフラ破壊などが続いています。赤根判事はオランダ・ハーグの国際刑事裁判所(ICC)でプーチン大統領への逮捕状発付の判断に携わった裁判官のお一人。捜査の現状をうかがえますか。


赤根 現在進行中の事態で、被害者の身の危険や捜査妨害の恐れも考えられ、中立性を旨とする裁判官の立場ではなかなか話しづらいですが、ICCで捜査を担当する検察官からの逮捕状の請求を受け、私が所属する裁判部門予審第2部の裁判官3名で逮捕理由、証拠、逮捕の必要性を検討し、3月17日に発付しました。容疑はウクライナで占領した地域から子供たちをロシアに移送したというもので、「戦争犯罪」の一種です。


オステン 逮捕状はプーチン氏とマリヤ・リボワベロワ大統領全権代表(子供の権利担当)に対して出されています。

 キーウ近郊ブチャでの民間人虐殺など、なぜ世界を震撼させた事案に対してではないのか、と疑問に思う人がいるかもしれません。これは証拠上の理由が大きかったのでしょう。プーチン氏個人の直接的な関与を示す証拠がなければ、検察官は逮捕状を簡単に請求できない。プーチン氏は、占領地域の子供のロシア国籍取得などに関する大統領令に署名しましたし、個人として刑事責任があるとの嫌疑が相当固まったのだと思われます。ロシアでは連れ去った子供に愛国心教育を施しているという報道もあります。このような強制移送は、死傷者を伴わなくとも、極めて重大な犯罪行為です。被害国の人口構成や国のアイデンティティへの影響が大きいためです。ナチス・ドイツもポーランドなどの占領地域から組織的に子供を連行して、特殊な施設でアーリア人教育を行った。そういう意味では「戦争の常套手段」と言えます。

 今後の捜査の進展によっては、強制移送ではない他の戦争犯罪や、「人道に対する犯罪」に関わる別の嫌疑が追加される可能性があります。


赤根 ICCが対象とするのは国際社会で最も重大な犯罪に絞られます。①ジェノサイド(集団殺害犯罪)、②人道に対する犯罪、③戦争犯罪、④侵略犯罪の四つで、これらは「中核犯罪」(コア・クライム)とも呼ばれます。

 ICCとは別に、ウクライナは国内法に基づいて自国で捜査・裁判を続けています。ICCは各国の裁判所の上位にあるのではなく、代替するわけでもありません。本来、中核犯罪も国家が裁くべきですが、その能力あるいは意思がない場合に、ICCが補完して裁くことになっています。これは「補完性の原則」と呼ばれます。


オステン 補完性の原則は弱い仕組みに見えるかもしれません。ですが、本来なら人道に対する犯罪にあたる行為を、国内法に基づき単なる殺人罪のような通常犯罪として処理した場合、ICCは国家レベルでの刑事訴追が不十分だと判断して自ら訴追に動くこともありえます。


赤根 実際、フィリピンではドゥテルテ前政権の「麻薬撲滅戦争」で多数の麻薬犯罪被疑者が正式な司法手続きを経ずに殺害されている疑いがあり、ICCの検察官が捜査を続けています。

 ICCは、国連加盟国のなかでその趣旨に賛同した国々が、ローマ規程という条約に基づき2002年に創設した常設の裁判所で、国連の機関ではありません。この点、国境紛争など国家間の争いを解決する国連の国際司法裁判所(ICJ)とは異なります。旧ユーゴスラビアの民族紛争やルワンダの虐殺での戦争犯罪などを裁いた「旧ユーゴスラビア特別法廷」「ルワンダ特別法廷」も、国連安全保障理事会の決議で設立された国連の裁判所です。


オステン ICCの源流は、第二次世界大戦後に戦勝国がドイツと日本の戦争犯罪人を裁いた「ニュルンベルク裁判」と「極東国際軍事裁判(東京裁判)」にあります。赤根判事の挙げた特別法廷も含め、事後になって特設された臨時の裁判所だったため、あらかじめ罪となる行為の要件を決めておく「罪刑法定主義」の点でいずれも批判がありました。けれどもICCはローマ規程が発効した02年7月以降の事件を対象とするので、この問題は解消されました。

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