「鉄の女」サッチャーは柔軟な「大人の外交」で成功した

池本大輔(明治学院大学教授)

「鉄の女」サッチャー

 サッチャーが野党保守党の党首に選出されたのは、今から50年前、1975年のことである。当時の世界は、自由民主主義諸国からなる西側陣営と、共産主義諸国からなる東側陣営が対峙する、東西冷戦の最中にあった。しかし70年代には、両陣営の平和共存を目指す緊張緩和(デタント)の動きが進む。

 イギリスの状況はといえば、かつての大英帝国の栄光はどこへやら、二度の世界大戦で蒙った損害は大きく、海外植民地も大半は独立を達成した。経済の相対的衰退は深刻で、「イギリス病」などといわれるありさまであった。米ソ二大超大国が牛耳る時代にあって、国際的な存在感を発揮するのは、容易ではなかった。

 加えて、サッチャーの外交経験は皆無といってよかった。本人が首相を辞めたあとに述懐しているように、当時はまだ、女性政治家は福祉や教育のような分野には向いているが、経済運営や外交・安全保障には不向きだというステレオタイプが根強く存在していた。首相になるまでに務めた役職は、年金省の政務次官と教育科学大臣であり、国際政治の世界とは縁遠かった。

 女性政治家に対しては、いざというときに国家を導くことができる
のか、不安視する向きが一定程度ある。それもあってか、安全保障問題がアキレス腱にならないよう、男性政治家以上に「マッチョ」な姿勢をとる女性政治家も多い。野党党首時代のサッチャーもまた、ソ連は世界征服の野望を抱いているとして、共産主義に対する警戒を怠らないよう繰り返し訴えた。ソ連軍の機関紙は彼女を「鉄の女」と呼んで揶揄(やゆ)したが、サッチャーはありがたくないはずのこのあだ名を、自ら用いることにした。ソ連が「鉄の女」と呼んで警戒するほどの政治家であれば、国を託しても大丈夫だというわけである。

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