荒廃空き地の中に住宅が点在......昭和の負の遺産「限界ニュータウン」はなぜ生み出されたか

- 「限界ニュータウン」という言葉を広めた者として
- 投機目的で乱開発された分譲地
- バブルが「虫食い状」住宅地を生む
「限界ニュータウン」という言葉を広めた者として
「限界ニュータウン」。昨今は広い意味で厳しい状況にある物や事象について「限界」の枕詞が付けられる例を見る機会が多くなり、この「限界ニュータウン」という語句も、以前と比較してメディアで目にする機会が増えてきたと思う。
しかし、ほかならぬこの語句を宣伝材料として使用している筆者が言うのもおかしな話だが、今なおその「限界ニュータウン」の定義ははっきりしておらず、「限界」という語句から連想される漠然としたイメージに頼る俗語に留まっている。
メディアでは多くの場合、開発・分譲から数十年が経過し、若年層の流出と住民の高齢化によって活力が失われつつある郊外住宅地を指す言葉として使われている。それが誤りであるとは思わないが、筆者の意図としては、単純に高齢化が進んだ地域と言うよりは、そもそも分譲当初の段階から現実的な住宅地としての利用が想定されておらず、未利用の空き地が数多く残されている分譲住宅地について「限界ニュータウン」「限界分譲地」と呼んでいる。
そのような分譲地を訪ねてみると、一応区画割りされた形跡はみられるものの、家屋がある区画はよくて全体の5〜6割、中には9割以上の区画が今なお更地のままという分譲地も珍しくない。「限界分譲地」が存在する地域では、むしろ区画のすべてが建物で埋まっている分譲地のほうがまれだ。
筆者は2016年頃から、結婚を機に東京都から千葉県へ移り住むことを考え、その住居探しのために、物件情報を片手に妻と千葉県各地の住宅地を訪ね歩いていた。しかし、一介のタクシー乗務員に過ぎなかった当時の筆者には、「限界ニュータウン」の問題を追究する意思もなければ、もちろん広く社会に訴える意図もなかった。ただ、当時の収入と自分の嗜好に照らし合わせると、不便であっても成田空港周辺や九十九里平野部に点在する「限界分譲地」が適していると考えて家探しをしていただけである。
ところがその過程で目にしたのは、至る所に立つ、はたして問い合わせがあるのかも疑わしい「売地」の看板と、築30年にも満たないであろう空き家の数々、そして道路もろとも雑草や雑木に埋もれ荒れ果て、半ば山林に還りつつある膨大な数の空き地だった。それまで持っていた「分譲住宅地」のイメージとは大きく異なる奇妙な光景に不安を抱く一方、その背景や歴史的経緯に強い関心を持ち、自身で調べて情報発信しているうちに、いつしかそれが本業となっていた。