荒廃空き地の中に住宅が点在......昭和の負の遺産「限界ニュータウン」はなぜ生み出されたか
投機目的で乱開発された分譲地
これら膨大な数の空き地は、決して人口減少に伴い発生した空き家を解体した後の住宅跡地ではなく、造成当初から今日に至るまでただの一度も家屋が建てられたことのない土地である。ただし、土地が売れなかったわけではない。分譲を行ったものの売れ行きが振るわず、多数の在庫を抱えてしまった業者もないわけではないが、少なくとも筆者が調査している関東圏においては、買い手が一人もつかずに売れ残ったケースはほぼ皆無ではないだろうか。
どんなに交通不便な分譲地であっても、ほとんどの場合、一度は完売し、今なお区画ごとに異なる所有者が存在している。そしてその多くは、そもそも家屋の建築を目的とせず、投資・投機・資産形成のために購入されたものだ。
日本が高度成長期を迎え、全国的に開発の嵐が吹き荒れていた1960年代から70年代は、いわゆる「原野商法」と呼ばれるビジネスが跋扈(ばっこ)していた。例えば北海道の奥地にある、資産価値が極めて低い原野や山林を、図面上だけあたかも住宅分譲地であるかのように区画割りして高値で売り捌(さば)いた。これらは当然、土地の値上がりを見込んで投機的に売買されていたものである。
しかしこの時代、投機目的で購入されたのは北海道の原野に限らない。住宅地や別荘地、マンションからそれこそ単なる山林まで、あらゆる不動産が投資・投機の対象となっていた。産業構造の変化に伴う都市部への人口流入と、その結果としての深刻な住宅不足により、今日とは比較にならない規模の、それこそ国土の様相が一変する勢いで宅地開発が進められた。地価は上昇の一途をたどり、土地投機熱は沸点に達した。
ただし、北海道などで横行した原野商法と決定的に異なるのは、これらの投機型分譲地・別荘地は、実際に道路舗装や水道管の埋設などのインフラ工事を行って、宅地として使える水準にまでは仕上げ、「住宅地」の建前で分譲販売されていた点だ。投機目的ではなく、あくまで自宅の建築用地として購入して居住を始めた住民も僅かながら存在する。
とはいえ主要な購入者はあくまで資産形成を目指す投機目的であり、分譲する業者側も、購入者の多くが実際に居住する意思を持たないことは百も承知であっただろう。住宅地として適した立地条件にあるかどうか、売る側も買う側も十分に検討しないまま、ただ地価の上昇を見込んだだけの無秩序な宅地分譲が進められた。社会問題となった「原野商法」と、これら投機目的の宅地分譲の間には、実は明確な線引きはない。両者は表裏一体の存在である。
ところが、あまりに過熱した土地投機ブームは、オイルショックや土地税制の改正、国土利用計画法の施行などによって一気に減退し、70年代半ば頃になると急速に縮小していく。特に影響が大きかったのが別荘地だった。バブル景気到来前の80年代半ばの時点ですでに、投機目的で乱造された別荘地が放置され、荒廃している実態は報じられていた。
当時、投機の対象となっていたのは一般の住宅地も同様だが、住宅用地として条件の良い物件は、最終的にはそこに住居を構えようとする一般消費者の手元に渡っていく。ところが、初めから投機ありきで開発された悪条件の分譲地は、最初に投資家の手に渡った時点で流動性が途絶え、その後長く、宅地としての需要がないまま放置され続けたのだ。