これは民主主義の危機である いますぐ特捜を解体せよ
人手が足りないので リークで仕事をしやすくする
なぜここまで検察は暴走するのか。
検察だけに限らないのだが、霞が関には我こそが国を動かす一握りのエリートであるという誤った認識がある。官僚は、国民から選ばれた政治家など「なんぼのもんだ」と本音では思っている。レベルの低い政治家の言うことを聞くのは大衆迎合だと思っている節がある。とくに検察組織は閉じているがゆえにその傾向が顕著だ。司法試験に受かった我々こそがエリートなのだから、我々が世直しをする。俺たちこそが社会のリーダーとして世直しをするんだ――と勘違いしている。
言うまでもないことだが、国を支配するのは国民である。その国民が選んだのが国会議員である。世直しは政治の仕事であって、行政組織の一つである検察の仕事であるはずもない。
検察全体に蔓延しているおごりによって暴走した結末が、今、国民の目の前に明らかになった。青年将校化した独りよがりの検察の正義感を今こそ正すべきだ。
検察の情報操作にやすやすと乗っかるメディアにも責任がある。官庁の中でも特に検察は閉ざされた組織であり、記者クラブ加盟社にしか情報を流さない。そして、検察の流す情報はメディアでは裏付けのとれないようなものも多い。メディアは検察の情報で商売をしているので、各社の取材合戦の中で、自社だけ報道せず、特オチにするわけにはいかない。このため、検察の情報を裏付けもないまま垂れ流すことになるのだ。
私の逮捕直前の報道を思い出してほしい。国後島「友好の家」、いわゆるムネオハウスの入札に絡む偽計業務妨害事件や、国後島ディーゼル発電施設入札の偽計業務妨害事件などの疑惑があると連日報じられた。しかし、ムネオハウスも発電施設も検察は事件化できていない。こんな捜査情報を報道が自分で調べるはずがない。検察のリークで書いているのだ。
思い出しても恐ろしいのは、容疑にもならなかった疑惑が連日報道されることによって、「鈴木を早く捕まえろ」という空気が社会に支配的になっていったことだ。検察は警察などと違って圧倒的に人手が足りないので、こうした情報操作によって自分たちの仕事をしやすい環境を整えていく。
「反権力」とマスコミは言う。しかし、各社とも情報を握っている検察組織にからめとられ、いいなりになっていないか。逮捕も起訴もできるという検察の強大な権力を監視するための記者クラブであるはずだ。しかし、その視点は欠落しているといわざるをえない。
権力の監視どころか情報がほしいあまりにメディアは検察組織に阿っているようにすら見える。新たに特捜部長に就任すると、各社競うように人の欄で新任の特捜部長を紹介するが、あんなことはいい加減やめたらどうか。またその新任の特捜部長も判で押したように「巨悪を断つ」とか言うのだ。何を偉そうにと、毎度、うんざりする。
二〇〇二年四月、大阪高検公安部長だった三井環氏が、収賄、詐欺罪などで大阪地検特捜部に逮捕・起訴された事件を覚えているだろうか。逮捕当日、三井氏は検察の裏金問題をテレビの報道番組で内部告発する予定だったが、なんとその直前に逮捕されたという事件だ。
私は三井氏逮捕のすぐ後に逮捕されているのだが、熱心に三井氏の取材をしていたあるテレビ関係者は、将来の検事総長候補から「あんまり三井事件で検察庁をたたく(批判する)と、鈴木宗男事件の捜査情報が入りませんよ。わかっていますね」と露骨に注意されたという。元産経新聞記者だった宮本雅史氏の著書『歪んだ正義』に詳しい。
閉じた記者クラブ制度の中でやりたい放題やってきた。これが検察の真の姿なのだ。