橋下「維新政治塾」に群がる人々
永田町の旧弊を打ち破れるか政治停滞の元凶となるか......
だが、思考はそこで宙をさまよう。その時、橋下氏はどう維新を率いていくのか、と。国政転身を否定する本人の弁を信じれば、維新が衆院選で一定勢力を有しても、大阪市役所に居続けるのだろう。国の集団と一役所の統率をどうとるのかは全く想像し難いが、「橋下氏不在」の状態が何を引き起こすかはある程度、予想がつく。
二〇一一年四月の統一選。大阪市議選で維新は改選前の一二議席から三三議席まで一気に躍進し、最大会派となった。だが、時の市長は維新と対立する平松邦夫氏。維新市議団は、公約の議員報酬三割カットや職員基本条例案などを次々と提案するも、自民、公明、民主系など他会派の反対で、ことごとく否決された。維新と他会派の対立は先鋭化し、議論は空転。半年後の大阪市長選を経て、橋下氏が市役所に乗り込んで初めて、維新の意向を反映した議案が通り始めた。公明市議団が賛成に転じるようになったからだ。むろん、変わったのは、議会だけではない。
税理士の資格を持つ維新市議、丹野壮治さん(三十九歳)は「橋下市政の前と後では全然、職員たちの対応が違います。平松市長の時は外郭団体の視察でも、役員が全員不在だったり、『市長の委任状を持ってこい』と門前払いされたり。でも橋下市長になってからは役員が勢ぞろいして説明しますし、調査の拒否もなくなりました」と話す。
丹野さんは、地縁血縁のない選挙区で初当選した。「私の役割は都構想の実現」と割り切り、後援会もほとんど作っていない。だから「人脈」は広がらず、九月に控える維新の政治資金パーティーのチケットもノルマの二〇枚がさばけない。去年は一二枚しか売れなかった。「人にモノを頼むのは苦手です」。そう笑う丹野さんは、地域に根を張り、濃密な人間関係を築く一般的な政治家像からは随分遠い。「地元の課題や住民の声を吸い上げられない」との批判もあるが、地盤作りにいそしまず、市役所を根城に外郭団体を締め上げる姿は、従来の政治家とはひと味違って新鮮でもある。
そんな丹野さんを見ながら考える。
いずれ、維新塾から生まれるであろう「橋下チルドレン」たちは、永田町の旧弊を打ち破り、新しい政治の風景を見せてくれるだろうか。橋下氏のいない一時期の大阪市議会のように、他の政党と対立を深めながら、政治を停滞させるだろうか。コストカットの先にある地道な再生の作業は続けられるだろうか。まず身を削ることで支持を集める手法の全く通用しない外交や防衛分野で、立ち往生しないだろうか。
橋下氏と交流のある経営コンサルタントの大前研一氏は、『読売新聞』のインタビューで維新塾についてこう語った。
「(塾から衆院選の当選者が誕生することは)国民にとって悪夢ですよ。そんな促成栽培でまともな政治家ができるはずないですから。チルドレン以下の『橋下ベイビーズ』と言われるに決まっています」
一方、橋下氏は、塾生が将来、「チルドレン」と呼ばれないための対策を報道陣に問われ、こう答えている。
「教育とか要らない。そんなことをできる立場でない。価値観を共有し、課題について決定していくのが政治家の役割だ」
政策的価値観を共有すれば、やっていけるとの自信があるようだ。
今回、何人かの維新塾生にインタビューを重ねる中で、最も印象的だった瞬間は、田中希代子さんが最後につぶやいた次の言葉を聞いた時だった。
「維新塾って、行き先のわからない電車に乗っているような気分はあるんです。みんなでワイワイガヤガヤ電車には乗っている。でも紀伊半島に行くと言っている人もいれば、京都の寺を見に行くと言っている人もいる感じ。到着地がわかっていないのかなあと」
「維新」という名のミステリートレインが、猛烈な勢いで疾走している。塾生だけではない。国民の誰一人、おそらくは橋下氏本人も、その終着駅を知らない。
(了)
〔『中央公論』2012年9月号より〕