田中角栄、山口百恵はもう現れない――カリスマなき時代、政治も歌もチームで勝負
(『中央公論』2024年6月号より抜粋)
- 土井たか子がテレビで歌っていた
- 購買力のある中年層が支えるブーム
- ドラマ「不適切~」は一つの進歩
- 個のパワーが落ちたのに
土井たか子がテレビで歌っていた
――枝野さんは幼い頃から政治家を目指していたそうですね。昭和の政治や政治家について、どのような印象をお持ちでしたか。
小学校低学年の頃が、ちょうど田中角栄ブームでした。大学を出てないのに50代の若さで総理大臣にまで上り詰めた「今太閤(いまたいこう)」に、日本中が熱狂していた。それが最初の印象です。
あの盛り上がりは本当にすごかった。私自身、1993年に日本新党ブームで初当選し、2009年に政権交代を実現した時や、17年に立憲民主党を立ち上げた時にも世論の「風」を受けたわけですが、角栄ブームはさらに上をいっていたのではないかと感じています。
その角栄さんが1974年に金脈問題で辞め、ロッキード事件が発覚した。ヒーローだった角栄さんが一体どうしたことだということで、国会中継を一生懸命見たり聞いたりしていました。事件をめぐる証人喚問で実業家の小佐野賢治が繰り返した、「記憶にございません」という有名なセリフも、ラジオでリアルタイムで聞いています。面白かったです。珍しい小学生でした。(笑)
戸川猪佐武(いさむ)の『小説吉田学校』など、政界をテーマにした本が売れた時期でもありました。どろどろした権力闘争や金脈政治が良いという意味ではありませんが、あの当時の政治のダイナミックさを、私は嫌悪するというよりポジティブに受け止めていました。
――角栄以外にも、個性が際立つ政治家が多かったように感じます。
私が生まれた昭和39(1964)年は東京オリンピックが行われ、テレビが一気に普及した時期です。政治家がテレビを通じて親しみやすさや大衆性をアピールし始めていました。
私たちの子どもの頃は、あの土井たか子さん(社会党委員長、衆議院議長などを歴任)がテレビの深夜番組に出て「マイ・ウェイ」を歌っていたんですよ。ミッチーこと渡辺美智雄さん(副総理、外務大臣などを歴任)が、久米宏さんが司会を務めたクイズ番組「ぴったしカン・カン」にゲストで出ていたこともよく覚えています。
その後、田原総一朗さんという天才的なコーディネーターが現れ、どうせならテレビで政治家に本業を語らせようということで政治討論番組の全盛期になりましたが、昭和はそこに至る前段階でした。家族みんなでテレビを見る時代だったから、政治家の存在も、今以上にフレンドリーで近かったのかもしれません。
角栄さんの「まー、その」、大平正芳首相の「あー、うー」とか、子どもでも口癖を真似していましたよ。