杉山 慎 南極の氷が融けると世界はどうなるのか?【下】

――気候変動による氷床融解のリスク
杉山 慎(北海道大学教授)

次世代につなぐために

 研究を継続するためには、次世代の育成も重要である。北海道大学では、南極について総合的に学ぶ大学院プログラム「南極学カリキュラム」を開講している。南極観測経験者や海外研究者による特別講義のほか、スイスアルプスや北海道での野外実習などを通じて南極科学の基礎と最先端を学ぶ、世界的にもユニークなカリキュラムである。過去15年で100名近くの若者がこのプログラムを修了し、受講生の20名近くが南極観測の夢をかなえている。

 ただ、研究や教育を通じて若者と触れる機会の多い私には、気になることがふたつある。

 ひとつめは、高校教育における地球科学の扱いである。いわゆる「地学」という科目がその役割を担うが、イメージが良くないのか、履修者が減っている。さらに地球科学の一部は「地理学」にも含まれる一方で、物理や化学の知識を活かした応用課題とも言えるため、系統だった習得が難しい。気候変動の重要性は、若者のあいだで広く浸透しつつある。地球科学に関する高校教育を工夫することで、気候変動に関する一般社会の理解が深まり、この問題に取り組む研究者や専門家を志す人も増えるであろう。

 もうひとつは、地球科学を学んだ若手研究者の進路である。私の研究室にも、氷河氷床に興味を持つ大学院生が入り、中には博士号を取得する学生も少なくない。問題はその後の進路である。地球科学の分野では、博士課程の修了後に、一般企業で専門性を活かした職に就く機会は少ない。大学教員や研究所員を目指すもののその枠は限られており、安定した職に就くまでに時間がかかることが多い。したがって私自身も、優秀な学生に博士課程への進学を勧めることを躊躇してしまう現実がある。

 もし民間企業や公的機関で地球科学の専門性が認られ、その経験と知識を活かした役職に登用してもらえれば、次世代研究者の進路に多様性が生まれる。そのような先行きの安心感が、気候変動問題に取り組む若手研究者に活気を与えるであろう。もちろん、狭い専門性にとじこもりがちな研究者にも広い視野が必要であり、常に社会との関わりを意識することが重要である。

 IPCCの評価報告書が明言するとおり、温暖化の原因が人類にあることはもはや間違いない。この前代未聞の気候変動を止めるのは難しい。しかしながら、地球の気温が何度上がるか、まだ私たちには選択の余地が与えられている。現代社会が享受し、消費する物事を見なおし、その必要性と気候変動によるリスクを天秤にかける、そんな検討作業が求められている。正確な天秤を準備するのが研究者の使命であり、その天秤を駆使して正しい道へ進むのが、社会全体に課せられた役割なのである。

南極の氷に何が起きているか

杉山慎 著

日本の面積の約40倍に及ぶ〝地球最大の氷〟こと南極氷床。極寒の環境は温暖化の影響を受けにくいと言われてきたが、近年の研究で急速に氷が失われつつある事実が明らかになった。大規模な氷床融解によって、今世紀中に2メートルも海面が上昇するという「最悪のシナリオ」も唱えられている。不安は現実のものとなるか。危機を回避するためにすべきことは。氷床研究の第一人者が、謎多き「氷の大陸」の実態を解き明かす。

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杉山 慎(北海道大学教授)
〔すぎやま・しん〕
1969年愛知県生まれ。93年大阪大学大学院基礎工学研究科修士課程修了。 93年より信越化学工業で研究開発に従事。 97年から2年間青年海外協力隊に参加し、ザンビア共和国の高等学校で理数科教員をつとめる。 2003年北海道大学大学院地球環境科学研究科博士課程修了。博士(地球環境科学)。スイス連邦工科大学研究員、北海道大学低温科学研究所講師、 同准教授を経て17年より同教授。南極や北極、パタゴニア等で大規模な氷河氷床の調査を主導。単著に『南極の氷に何が起きているか』、共著に『なぞの宝庫・南極大陸』『低温科学便覧』『低温環境の科学事典』など。
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