渡辺佑基 サルの民主主義――人間に似る野生動物の社会行動

渡辺佑基(国立極地研究所准教授)

ヒヒの民主主義

 最初に紹介するのは、アフリカのサバンナで暮らすアヌビスヒヒの話。この動物は少数の大人のオスと多数のメス、それから子供たちによって成る10頭から100頭ほどの群れで暮らす。群れのメンバーには序列があり、上位のヒヒは優先的に食べ物を口にでき、交尾のチャンスも多い。

 ヒヒの群れは定住せず、食べ物を探して年中動き回る。だとすれば、次にどこに行くのかは誰が決めるのか。食べ物が豊富で、ヒョウなどの天敵が少なく、なおかつ休息に適した樹木のある場所を見つけることは、最重要の課題であるはずだ。

 人間の集団なら揉めるだろう。「あちらの川向こうがいい」「いや、南の丘を越えよう」「天気が下り坂だし、もうしばらくここに留まるべきだ」なんていう論争が巻き起こるのが、目に見えるようである。

 ヒヒの群れでは、序列上位のリーダーが強い決定権を持つのだろうか。それとも、多数決などの民主的な方法で行き先を決めるのだろうか。

 この点について調べた面白い研究がある。アメリカの研究者を中心とする国際研究チームがケニアの自然保護区を訪れ、集団で暮らすヒヒのメンバーそれぞれにGPSを組み込んだ首輪を取り付け、数週間にわたって行動を追跡した。

 データを分析すると、一頭のヒヒが群れから離れて一方向に動き出した際、群れ全体が同調する場合と、そうでない場合があった。群れが同調しない場合、動き出したヒヒは引き返し、群れの中に戻っていた。まるで某党の総裁選への出馬をめぐる駆け引きのようである。ある政治家が出馬を画策した際、大勢の党員が同調する場合と、誰も同調せずに慌てて出馬を取りやめる場合がある。

 では、結果を左右する要因は何なのか。直感的には「発起人」の地位やカリスマ性が重要そうだ。少なくとも総裁選出馬のケースならそうだろう。

 ところが結果は違った。発起人に群れ全体が同調するか否かは、発起人の序列とは無関係であった。発起人の数が多ければ多いほど、そして発起人たちの提案(進行方向)に差が少ないときほど、群れが同調する確率が高かった。

 さらに興味深いのは、発起人Aと発起人Bがめいめい違う方向に動き始め、それに引っ張られて群れ全体が動き出した場合である。このケースでは、群れはどちらの方向に動くのか。

 AとBの案の差が大きいとき、つまり一方が北へ向かってもう一方が南に向かったような場合、群れは二者択一でいずれかの案を採用していた。いっぽうで、二者の案の差が小さいときには、群れは折衷案を採用してAとBの案の中間の方向に進む傾向があった。

 このように、ヒヒの群れは序列の高いリーダーの独裁政治によってではなく、極めて民主的に行き先を決めていた。

 なぜそうするのか。もちろんヒヒの国の憲法に自由と平等が謳われているからではない。そうではなく、民主的な方法で行き先を決めることが、個々のヒヒの生存率向上に繫がるからである。

 序列の高低にかかわらず、個々のヒヒの持つ情報量には限りがある。だから、一頭の「指導者」や少数のヒヒから成る「指導部」が群れの行動を決めるよりも、大勢のヒヒが意見を突き合わせ、多数決を取ったり、折衷案を採用したりするほうが、失敗が少ない。不毛の荒れ地に分け入ったり、天敵のうようよいる危険地帯に迷い込んだりするリスクを減らすことができる。

 とはいっても、個々のヒヒが民主的な決定方法の意義を理解し、実践しているとは限らない。集団としての意志決定の方法は、厳しい自然の中で生き残り、子孫を残すための生存戦略として、世代を超えて受け継がれている。

 ヒヒの集団行動は、人間の社会に見られる民主主義がそもそも何のためなのか、根源を考える契機をくれる。

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