古書店主が選ぶ宝物のような2作品 山本善行
ヘレーン・ハンフ編著/江藤淳訳『チャリング・クロス街84番地』
宇野浩二『芥川龍之介』(上下)
かつて文学仲間たちと中公文庫だけの内容で作った雑誌「sumus」(〔別冊〕まるごと一冊中公文庫・2003年)をめくってみると、当時の中公文庫へのオマージュが蘇ってくる。何度も読み返した中公文庫の中から、私にとって宝物のような作品を紹介したい。
①ヘレーン・ハンフ編著/江藤淳訳『チャリング・クロス街84番地』
ヘレーンは、ニューヨークに住む無類の本好きで、テレビドラマの脚本を書いている。ある日、ロンドンの古書店マークス社を知り、探求書のリストを送ることから手紙のやり取りが始まった。ヘレーンが欲しい本は、主にイギリス文学で、ジェーン・オースティンやバージニア・ウルフ、スチーブンソンなど日本でもお馴染みの作家たちの名前も登場する。書名が沢山出てくるのも楽しい。アイザック・ウォルトンの『伝記集』や『自負と偏見』や『エリア随筆』などは、その書物の様子なども記される。
一方、古書店マークス社は、ヘレーンの希望に答えて見事な本を探し出してくる。ヘレーンが春になったので恋愛詩集が欲しいと頼むところも良かったなあ。「キーツやシェリーのではいやです。甘ったるい言葉を使わないで恋の詩を書いている詩人の詩集を送ってください」と頼むのだ。
「手を触れるのがこわい」「こんなに美しいしなやかな紙」などと、本を受け取った時の喜びが伝わってくるヘレーンの文章もいい。ヘレーンはイギリスで食料が配給制になると、マークス社に肉や卵やハムや缶詰を送るようにもなる。書店は本を売るだけではない、お客さんも本を買うだけじゃない、そんな深い交流が優しく伝わってくる。
②宇野浩二『芥川龍之介』(上下)
芥川については、小穴隆一も書いた、江口渙(かん)も書いた、小島政二郎も見事に書いた。そんな中でもこの宇野浩二の芥川は特別のように思う。それは芥川が宇野にだけ見せた姿があったからだろう。宇野は、この本は評伝でも評論でもなく実際に芥川と接して、見たこと聞いたことを思い出すままに記したものだと書いているが、確かに、芥川という人物の魅力がより身近に感じ取れる。
何度読んでもまず感心するのが宇野の記憶力の特別な形で、記憶力にも個性が感じられる。普段は頭に仕舞い込まれているが、思い出し、そのまま細部まで描けば、小説が出来上がるといったような記憶となっている。
最初に出てくる関西への旅行で、ほとんど喋らない直木三十五や菊池寛の酒席での様子などを生き生きと思い出しているが、文学の鬼と言われた宇野浩二だけあってちょっとした仕草をも見逃さないぎょろっとした目を感じる。下諏訪に芥川と宇野の小説のモデルとなった「ゆめ子」に会いにいく場面は、映像が浮かんでくる見事な文章になっている。芥川が「ゆめ子」に送った手紙、芥川が「枯野抄」に出てくる人物は漱石門下だよと言った話、こんな面白い本は滅多にないですね。
山本善行さん
ヘレーン・ハンフ編著/江藤淳訳
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