「中国系作家たちの驚くべき物語力」東山彰良

私の好きな中公文庫
東山彰良(ひがしやま・あきら/作家)
左から『白檀の刑』(上・下)、『香港・濁水渓 増補版』
東山彰良が選ぶ「私の好きな中公文庫」
 莫言『白檀の刑』(上・下)
 邱永漢『香港・濁水渓 増補版』

邱永漢(きゅうえいかん)『香港・濁水渓 増補版』の解説を書かせてもらった。同郷人である邱氏のことは、もちろん存じ上げていた。外国籍で初めて直木賞を取られた方で、台湾では「金儲けの神様」と呼ばれている。今回は初見だったのだが、一読ぶったまげてしまった。

 「香港」も「濁水渓」も、どちらも中編程度の長さである。直木賞候補にのぼった「濁水渓」のほうは台湾が日本に統治されていた時代の物語で、主人公は民族自立を叫ぶ熱血漢だ。彼は日本人を台湾から駆逐し、中国人による治世さえ実現できれば万事大吉だと信じている。

しかし戦後、大陸から渡ってきた国民党の無能ぶり、汚職ぶりに幻滅して政治的理想を捨て去る。理想無きあと、彼の胸の空虚を埋めるのはカネだ。人間らしく生きるために彼は香港へ渡ることを決意し、物語はそこで終結する。

そして直木賞に輝いた「香港」は、まさに政治犯として追われる主人公が香港へ逃れ落ちるところから物語の幕が上がる。「濁水渓」の続編というわけではなく、主人公もまったくの別人物だが、間違いなく両作は地続きだ。そして「香港」でも政治的理想に敗れ、自由を追い求める主人公のまえに立ちはだかるのは、やはりカネなのだ。

邱氏がどのようにして筆を措(お)き、金儲けに走ったのか、私は知らない。しかしこの二作を読めば、それがなんとなくわかるような気がする。私たちは芸術と商売を別物と考えがちだし、芸術のほうを数段上に見ている。だけどそんなのは、カネで苦労したことがないやつの戯言(たわごと)でしかない。

ところで私はライトノベルも手掛ける。『DEVIL'S DOOR』(集英社)という作品の表紙は漫画家の坂本眞一氏が手掛けてくれたのだが、坂本氏の大ヒット作『イノサン』はフランス革命期の処刑人一族を描いた血みどろの傑作である。しかし、ちょっと待った!

血も凍る処刑人の話なら、莫言(モォイェン)『白檀の刑』を忘れてはならない。時は清朝末期、舞台は義和団が暴れ回っていた中国は山東省である。家族をドイツ人に殺された男が、毛唐どもを駆逐するために蜂起する。この男が捕らえられ、世にも恐ろしい白檀の刑に処されるという筋立てだ。

罪人と、彼を助けようとする一人娘。それだけならありきたりな話だが、罪人を捕らえた県知事がこの娘の愛人で、しかも罪人に白檀の刑を行う処刑人が娘の舅と夫ときた日には、愛憎や打算が入り混じらないわけがない。

莫言の凄さは、中国人の血に書きこまれているものを余すところなくすくい取りつつ、エンタメに徹しているところだ。本作でも随所に地方劇の即興歌が差し挟まれ、さながらアウトローを讃えるカントリーソングのように物語を音的に盛り上げてくれる。処刑の場面などは、そのユーモラスな文体がかえって恐ろしく、本を持つ手が震えるほどだった。

※「読書中毒日記 vol.13」(小説現代2021年4月号掲載)より一部抜粋、加筆修正しました。

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東山彰良さん

白檀の刑(上)

莫言 著

膠州湾一帯を租借したドイツ人に妻子と隣人の命を奪われた孫丙は、復讐として鉄道敷設現場を襲撃する。哀切な猫腔の調べにのせて花開く壮大な歴史絵巻。

白檀の刑(下)

莫言 著

捕らわれた孫丙に極刑を下す清朝の首席処刑人・趙甲。生涯の誇りをかけて、一代の英雄にふさわしい未曾有の極刑を準備する。現代中国文学の最高峰、待望の文庫化。

香港・濁水渓 増補版

邱永漢 著

戦後まもない香港で、台湾人青年がたくましく生き抜くさまを描いた直木賞受賞作「香港」に、同候補作「濁水渓」を併録。随筆一篇を増補。〈解説〉東山彰良

東山彰良(ひがしやま・あきら/作家)
1968年、台湾生まれ。『路傍』で大藪春彦賞、『流』で直木賞、『罪の終わり』で中央公論文芸賞、『僕が殺した人と僕を殺した人』で織田作之助賞・読売文学賞・渡辺淳一文学賞を受賞。他の著書に『どの口が愛を語るんだ』『怪物』など。現在、「中央公論」にて「邪行のビビウ」を連載中。
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