AIはこの先も宮崎駿になれない。AIの書く脚本が人のものを上回ることができない「原理的」な理由とは

人工知能はウソをつく【第3回】
清水亮

故に、AIは宮崎駿にはなれない

怒りを持続するのは大変なことだ。「これが許せない」「これが伝わってない」「なぜこうなっていないんだ」「お前ら何も解ってない」と言った怒りを引き出すのは、実は観察力である。

つまり、創作プロセスの種火としての「怒り」を維持するためには、常に様々なものを観測し、あるべき姿を仮定し、理想の姿を思い描き、そこに至るまでの道筋をストーリーとして創出しなければならない。僕は、これが傑作の生まれる根本的な必要条件であると考えている。この機能を「情念」と呼ぶことにしよう。

AIにこの機能はない。

故に、あれほど難解な映画を作ることは決してできないし、もしもそれを真似したとしても全くうまくいかない。

情念を再現するためには、まずひどい苛立ちや怒り、羞恥心、焦燥感と言った負の感情を実装する必要がある。しかし、AIにそんなものを持たせたら(持たせる方法はわからないが)危険なことが起きると誰もが予想できるのでそんなことを積極的にやりたがるAI研究者はいない。

また、そもそも人間として生きることのないAIには、こうした負の感情をプログラムで無理矢理に持たせたとしても本質的に同じものにはなり得ない。結局、そうした負の感情というのは、人間が生物として持つ性質から生じているのであって、どこまで行っても機械に過ぎないAIが同じ感情を持つことは不可能だ。

AIにできることは、せいぜい、質問された知識を披露したり組み合わせたりすることだけで、そこに真の情念や創作性といったものは宿り得ないのだ。

故に、AIは宮崎駿にはなれない。

増補版 教養としてのプログラミング講座

清水亮

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清水亮
新潟県長岡市生まれ。1990年代よりプログラマーとしてゲーム業界、モバイル業界などで数社の立ち上げに関わる。現在も現役のプログラマーとして日夜AI開発に情熱を捧げている。『教養としてのプログラミング講座』(中央公論新社)など著書多数。
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