今夏の「はだしのゲン現象」を夏の終わりに振り返る

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『はだしのゲン』と教科書

もう一つ、理由として考えられることがある。今年『はだしのゲン』は、広島市教育委員会が独自に作成する教材「ひろしま平和ノート」に、この漫画が採用されなかったことで話題となった。この教材は広島市立のすべての学校で計画的に平和教育を進めるため、10年前に導入されたもので、小学校から高校までのそれぞれの学年に応じて作成され、年間三時間を充てている。『はだしのゲン』が載っていたのは小学三年生の教材だった。

『はだしのゲン』の場合の他にも、教科書問題は国内外で様々に取り上げられている。教科書が持つイデオロギーが子どもたちにどのような影響を与えるかについての議論は活発だ。そのタイミングで国際的にもかなり認知度の高い『はだしのゲン』の採用が取りやめられたこと、しかもそれが、「ヒロシマ」の平和教育のための教材であったことが、国内で大きな話題となった一因であるのは間違いないだろう。

『はだしのゲン』の閲覧が制限されるのは今回が初めてではなかった。2013年に島根県松江市では、松江市教育委員会が、子どもが閲覧する際は教員の許可が必要な「閉架」にするよう要請したのに対し、市内の小中学校49校のうち39校が応じていた。同年、大阪府泉佐野市でも、市立小中学校13校でこの漫画の回収措置がとられた。いずれの措置も撤回されてはいるが、小中学校で混乱が生じたことは確かだ。

この文章を書きながら、僕は小学生のころを思い出している。昼休み、図書室の冷たい床に寝そべりながら、『はだしのゲン』を読んでいた。その頃には特別な社会意識もなかったし、「学校で怒られずに漫画が読める」程度のことしか考えていなかった。細かい内容は覚えていない。主人公である中岡元の威勢のいい姿だけが思い返される。そしてこうした記憶が、「これからは誰とでも共有できるものではなくなっていくのだろうか」などと考えている。

もちろんこれはまったく個人的な体験だ。とはいえ、このニュースに接した人たちの中で、『はだしのゲン』が自分たちの視界から失われていくかもしれないという危機感が強まった、あるいは表面化したのではないか。『はだしのゲン』が「売れた」のは、教科書や図書室というパブリックな意味合いの強い場所からこの先消えゆくことを感じ取り、買って手許に置いておかなければ今後読めなくなるという思いを少なくない人が持ったからだと想像する。

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