平山亜佐子 断髪とパンツーー男装に見る近代史 ディートリッヒと「ギャルソンヌ」

第十三回 ディートリッヒと「ギャルソンヌ」
平山亜佐子
映画『モロッコ』でのタキシード姿のディートリッヒ
明治から戦前までの新聞や雑誌記事を史料として、『問題の女 本荘幽蘭伝』『明治大正昭和 化け込み婦人記者奮闘記』など話題作を発表してきた平山亜佐子さんの、次なるテーマは「男装」。主に新聞で報じられた事件の主人公である男装者を紹介し、自分らしく生きた先人たちに光を当てる。

 明治から昭和初期にかけて新聞や雑誌に掲載された男装の記事を紹介し、それぞれの背景を探る「断髪とパンツ」。「男装の麗人」ターキー(水の江瀧子)の人気が鰻登りとなった昭和初期のその他の男装の状況を見ていこう。

第二次男装ブーム


 明治初めの断髪の女性たちの登場を第一次男装ブームとするならば、1930〜1935年頃はまさに第二次男装ブームとでも呼べるような状況だった。
 とくに1930(昭和5)年から1931(昭和6)年にかけては「男装の年」と呼んでも差し支えないほどの盛り上がりを見せた。
 妖しいタキシード姿が一斉を風靡したマレーネ・ディートリッヒ主演映画『モロッコ(原題:Morocco)』が作られたのが1930年、日本では翌年封切られた。
 これはディートリッヒのハリウッドデビュー作であり、字幕スーパーのついた日本初の映画だった。当時、共演したゲイリー・クーパーの日本のファンたちがポスターに書かれた「ディートリッヒ・イン・『モロッコ』・ウィズ・ゲイリー・クーパー」に抗議し、2人を同格にしたポスターに変更させたという逸話を映画評論家の淀川長治が書いている(「懐かしのガルボとディートリッヒ」)。それだけクーパーファンの方が声が大きかったわけだが、いざ映画が封切られるとディートリッヒの圧倒的な存在感に日本中が魅せられた。
 タキシードにシルクハット姿のディートリッヒがキャバレーの舞台から歌いながら降りてきて、客席を練り歩く。その様子に女性の観客が見惚れていると、ディートリッヒは女性に近寄ってキスをする。神秘的で妖しい夢のようなシーンである。
 映画評論家の小森和子は『モロッコ』を14回観たといい、主人公アミー・ジョリーに憧れて住み慣れた東京を捨てて関西に移り住むという「流転の人生」に踏み出した(「ガルボとディートリッヒ この2大女優のマジックと私」)。人の人生を変えるほどの力を男装のディートリッヒは持っていたのだ。ちなみに、欧米での『モロッコ』人気はそれほどではなかったというから、不思議である。

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