単行本『無常といふ事』がやっと出る(二)
【連載第十二回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)
刊行難には出版業界の問題も?
『無常といふ事』の刊行がいつ、どんな形で進められたのかはわからない。刊行準備は敗戦の日から遠からずに始まっていたのではないか。創元社の季刊文学雑誌が九月にはもう編輯準備にかかっていたのだから、やはり同じ時期だったのではないか。それでも小林が「今だって出せるかどうかあやしいものだ」と洩らしていたのは、戦後の出版界に問題があったのか。
創元社の社史『ある出版人の肖像』には、この頃の業界の動きが素描されている。昭和二十年九月十日に、GHQは言論・出版の自由のために一切の統制をやめよとの命令を下す。新興出版社の輩出、雑誌の復刊と創刊ラッシュがそのうちに始まる。十月六日には出版事業令が廃止、十日には日本出版会が解散し、日本出版協会が創立される。大晦日には情報局が廃止となった。
本の奥付に配給元として社名が出ている日本出版配給株式会社(通称、日配)も動揺していた。十月十八日に、日配は改組更生のため三十一人の委員を選ぶ。創元社社長の矢部良策もその一人に選ばれ、大阪と東京の往復となる。日配のゴタゴタの詳細は荘司徳太郎の『私家版・日配史――出版業界の戦中・戦後を解明する年代記』に詳しい。それを読むと、戦争に協力した出版社の戦犯問題が「業界を二分するが如き大騒動」となった。それは業界の保守派と改革派の対立でもあり、言論闘争と企業闘争でもあった。「用紙という糧道を断つ」戦略目標が追放劇を起こしたからだった。各出版社にとって予断を許さない状況は続いていた。それが昭和二十一年の一月、二月であり、小林の耳にもそのゴタゴタは入っていたであろう。