単行本『無常といふ事』がやっと出る(二)
中村が見た、観劇後に黙り込む小林
知己の言というべき書評である。小林が「モオツァルト」の次に「ランボオの問題」(「展望」昭和22・3)を書く事を予言するかの如くだ。中村は後年の『文学回想 憂しと見し世』では、「実朝」ではなく「当麻」を語っている。高輪の能楽堂で梅若万三郎の舞台を小林と一緒に見たのは昭和十七年の二月ごろだったと。
「これを「無常といふ事」の巻頭に据えたのは、おそらく偶然ではないでしょう。/氏が西洋的近代的(この二つは氏にとって同じものです)な文学の感化から脱出して、日本の過去に全身的に打ちこむ姿勢をとる転機は、このあたりにあると見てよいでしょう。(略)「当麻」はそのような啓示をうけた筆者[小林]が、そのほとんど困惑に近い感情を率直に、やや性急に綴った文章で、ここに戦争が文学者に及ぼしたもっとも微妙な影響を見ることも出来ましょう。/僕は氏の美意識あるいは芸術観の革命に、隣りに坐って立会ったわけですが、そういう重大な劇が氏の精神に起ったとは想像もつきませんでした。/ただ暖房もない寒い風の吹き通す木造の狭い能楽堂で、外套を着たまま桟敷に坐っていただけでした」
中村は小林が観劇のあとに黙り込んでしまったと記憶している。隣りの中村は黙殺され、小林は世阿彌の詩魂と合体する。「観劇も読書と同様な孤独な作業になる」。中村はここで「当麻」の末尾が、初出と単行本で違うことを笑話として紹介している。
「僕は、星を見たり雪を見たりして夜道を歩いた。あゝ、去年の雪何処に在りや、いや、いや、そんなところに落ちこんではいけない。僕は、再び星を眺め、雪を眺めた」
中村の指摘の通り、初出の「文學界」(昭和17・4)では、ずいぶん印象が違う。
「僕は、星を見たり雪を見たりして夜道を歩いた。去年の雪何処に在りや、いや、それはいけない思想だ、それより俺はずい分腹が減っている筈だ。僕は、再び星を眺め、雪を眺めた」