エイプリル・フール、「戦艦大和」の吉田満に会う(四)
記録文学の流行を開く
「軍艦大和」を機に、記録文学の流行となる。それだけ話題性の強い作品であった。「サロン」編集部では、続いて丹羽文雄の「日本敗れたり」を連載した。「天皇は永い間、自己の感情と意志を封じられていた。漸く自然な思うとおりに本当の気持を喋ってもよい時が来たと思えば、その時は、日本の敗れる時であったのだ......」というリードからわかるように、八月十五日を描いた実録物で、鈴木貫太郎内閣の内閣書記官長・迫水久常からの取材をもとにした問題作だった。「新潮」では、真珠湾の特殊潜航艇の生き残り・酒巻和男の「捕虜第一号」が連載された。年末には、大岡昇平が「記録文学について」(「夕刊新大阪」昭和24・12・20~21)を書いて総括している。
「本年度の記録文学の流行を開いたのは五月に発表された吉田満氏の「軍艦大和」でした。これはなか/\非凡な作品で、この伝説的巨艦の最後が一青年乗組員の死との対決を通じて、生々と描き出されていました。後ベスト・セラーに列せられるだけの内容と力をこの作品は持っていました。ただそれがあれだけ大衆的人気を博したのは、幾分作品の埒外にあった事情によるように思われます。終戦後現われたこの種の記録が、かたよった露悪趣味と意気地のないヒューマニズムによって彩られていたに反し「軍艦大和」の特色は死を要請された軍人という状態を率直に認めて、その敗北に対する反応を正確に辿った点にあったのですが、それは大衆によって甚だ感情的に受け取られたのです」
作品はいいが、その与える影響がかんばしからぬという社会評論的な見方を打ち出している。問題は旧軍の首脳部が息を吹き返して回想録を書き、それらは一部を除いて「愚劣の一語」に尽きるという点である。「国家組織の最高の表現である戦争について盲目であることは許されますまい」と、後に『レイテ戦記』を書く作家らしい結論となる。