斎藤幸平×藤原辰史  コモンの自治管理

斎藤幸平(大阪市立大学准教授)×藤原辰史(京都大学准教授)
 水や森林、文化、知識などのコモン(共有財)の現状はどうで、いかにあるべきなのか。資本主義に代わる第三の道を斎藤幸平さん(大阪市立大学准教授)と、藤原辰史さん(京都大学准教授)が模索する。

晩年のマルクスはエコロジスト!?

─お二人は、環境危機の根源に「資本主義の限界」があるという問題意識をお持ちです。藤原さんは食と農の現代史、斎藤さんはマルクス主義思想の研究を通して、資本主義のあり方に疑問を呈していますね。

斎藤 近代以降、人類は自然を支配し、生産力を上げることで食料危機や貧困問題を克服し、発展しようとしてきました。こうした近代化を人類の進歩だとみなす考えは非常に根強く、資本主義を批判したマルクスですら、最初はそう考えていました。しかし、そこからマルクスは徐々に思想を深め、晩期には過剰な森林伐採や化石燃料の乱費といったエコロジカルなテーマを、資本主義の矛盾として扱うようになります。資本主義が自然の力を超えて膨張すると、「修復不可能な亀裂を生み出す」と警告までしているのです。

藤原 斎藤さんの『大洪水の前に』を読んだ時、マルクスにも歴史があると改めて感じました。晩期のマルクスは、あまり知られていないドイツの農学者カール・フラースまで読み込み、生態学に踏み込んだ議論を展開していたとか、驚くことが多くて。また、ご著書では晩期マルクスを読む鍵として、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートが提起した言葉「コモン」を使っていますね。

斎藤 晩期マルクスのコミュニズムは、富を国営化する社会主義とは異なる、コモンの再生だというのが、近著『人新世の「資本論」』で展開した私の解釈です。ここでいうコモンとは、水や森林、文化、知識といった根源的な富のことで、これらは国家や企業の所有物にせず、市民が自治管理するべきであるとマルクスは考えていました。あらゆる富を企業が商品化する米国型新自由主義に抗い、しかしソ連型社会主義のように国有化するのでもない第三の道をマルクスは思い描いていたのです。私は商品化が行き過ぎた現代社会に、この思想を使ってコモンの領域を取り戻そうと訴えています。

藤原 私は食と農の分野で、コモンの概念を使って議論を展開してきました。そこに斎藤さんがご著書で、コモンを取り入れて資本論を読むことが可能だと書いていた。マルクスへの偏見が崩れる読書体験でした。

斎藤 私がマルクスの新しい読みをできているとしたら、世代の影響でしょう。研究を始めた二〇〇〇年代は、気候変動や格差拡大によって、資本主義の限界が露わになりました。また、ソ連崩壊後、日本ではマルクス主義が衰退していたので、共産党的な発想から自由にテキストと向き合えました。資本主義に疑問を持っても、私を含め現代人はその中で生きているので、他の可能性をなかなか思い描けません。そんな中、資本主義を相対化した「資本論」に立ち返ることで、現代につながる重要な視座を得ることができました。

(中略)

斎藤 よく「コモンという理想はいい。しかし、気候変動のようなタイムリミットが迫る問題にどれだけ実効性があるのか」というご指摘を受けます。私はあくまでもコモンの領域を増やし、そこから起きる社会運動や人々の主体性による変化を期待しています。例えば今、米国では「サンライズ・ムーブメント」が若い人たちから圧倒的な支持を受け、バイデン新政権の人事に圧力をかけるほどになっていますよね。このような活動のリーダーとなる人材を、コモンの自治管理を通してボトムアップで育てていく。そこから国家、大企業に迅速な変化を求めて行動を起こしていくのが、理想的です。長い道のりに思えるかもしれませんが、米国の若者を見ていると、希望はあると感じます。

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