鈴木洋仁 日本人が「世襲」を好む、意外な理由
「世襲」「格差」報道が大好きなマスコミ
認知科学者・苫米地英人氏による『世襲議員という巨大な差別』(サイゾー)は、書名のとおり、「世襲」にはきわめて批判的であり、オンライン書店Amazonで200件を超える、高い評価を得ている。
大手新聞でも「世襲」は嫌われている。
朝日、毎日の2紙で使われる「世襲」は平成以降に増えている。とりわけ2000年代はじめには、政治家を批判する文脈で多く使われるようになった。
データベースがことなるため単純には比べられないものの、『朝日新聞』で見出しに使われた「世襲」は、1980年代の28件に対し、90年代には59件、2000年代には122件、と10年ごとに倍増しており、『毎日新聞』でも同時期に11件、73件、180件と大きく増えている。
数が多いだけではない。メディアは常に「世襲」を糾弾してきた。
『朝日新聞』は、2021年7月26日付の社説で「政治家の世襲 政党は制限の検討を」と掲げる。「世襲が目立つこと」は、「新しい人材への門戸を狭め、既得権益の温存にもつながりかねない」という。
いっぽう本号(『中央公論』2022年3月号)で他の論者が述べるように、日本における格差は、所得の不平等さを測る指標=ジニ係数をみる限り、拡大しているどころか、逆に縮小している。所得ではなく金融資産を見るべきだとする立場もあり、「格差是正」をめぐる議論は、簡単ではない。
日本語の「格差」は、古いことばではない。使われ始めた大正期には、米や生糸などの格付取引での品質や価格の「差」をあらわしていた。「所得格差」や「地域格差」といった使い方は、戦後に多くなったものである。
『朝日新聞』の見出しでは、「格差」は1960年代に50年代の10倍近くの223件、以降10年おきに419件、674件と増え、90年代には565件と減るものの、2000年代以降は、930件、955件となっている。
社会学者の佐藤俊樹氏が以前から指摘しているように、格差の拡大そのものよりも、「不平等感」のほうが増幅している、そんな証が、メディア報道からみえる。
ではなぜ、「世襲」も「格差」も、マスコミでさんざん批判されているにもかかわらず、「世襲」はなくならないどころか、増えている(ようにみえる)のだろうか?