橘玲 進化論がもたらす「知のパラダイム転換」 自然科学は人文・社会科学を呑み込むのか
新しいパラダイムの中で
――思想や哲学といった人文系の学問に触れる場合、やはり古典から押さえておく必要があるのかなと考えてしまいがちですが、むしろ「知のパラダイム転換」以降の新しいものから読み始めるというのは刺激的なアプローチだと思いました。
古典が無意味というわけではありません。フロイトにしても、無意識を発見したというのは誇大広告ですが、日常生活に無意識が大きな影響力を持っていると指摘したのは斬新でした。ただ、フロイトは間違ったこともたくさん言っているわけで、新しい知のパラダイムを押さえておかないと、貴重な時間を無駄にすることになる。近年、夢や睡眠の科学が急速に進歩していますが、それによると、超自我に抑圧された性的な欲望が夢となって現われるなんてことはない。『夢判断』はフロイトの主著とされていますが、「読まなくてもいい本」です。
アメリカでは精神分析学の影響がすごく大きかったので、一時期、心理学者の間ではフロイトを全否定しなければならない雰囲気があったようです。学会でフロイトを引用しただけで、出席者がどんどん退席していくとか(笑)。フロイトが使っていた「無意識」という言葉も、わざわざ「潜在意識」「前意識」などに言い換えた。これはすべて同じものだから、読者が混乱するだけです。最近ようやく、「フロイトには間違っている部分も正しい部分も両方ある」と冷静に論じられるようになったようですが。
――古いものを全否定するのではなく、新しいパラダイムの中で向き合い直すということですね。
私が疑問に思うのは、日本の人文系の人たちにも散見されますけど、ヘーゲルやマルクス、あるいはデリダやドゥルーズ/ガタリでもいいのですが、彼らの言っていることを全肯定してしまうケースです。なかには、テキストに書かれていないことまで読み取ろうとする人さえいる。ここまでくると一種の「陰謀論」です。
彼らに共通するのは、過去の思想家が書いたものを、聖書やクルアーン、仏典と同じように神聖化し、そこには真実が書かれていて、その解釈ができるのは自分だけだと主張することです。
宗教の世界ではずっとこういうことをやってきて、時に殺し合いにまでなったのですから、SNSで罵詈雑言をぶつけ合っているくらいならまだマシなのかもしれませんが。これも同様の話で、人間は進化論的な制約のなかでしか生きていけないので、同じことをえんえんと繰り返しながら、「自分こそが新しい」と信じ込むんだなあと思います。
幸いなことに、今ではこうした議論も自然科学の手法で検証できるようになった。その検証に堪えられないものは、とりあえず「読まなくてもいい本」に入れてしまっていいでしょう。1日は24時間しかなく、読書に割ける時間は限られているわけですから。