岡邊 健 ゼロ年代以降の殺人を犯罪学から読み解く

岡邊 健(京都大学大学院教授)

統計にみる殺人事件

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 近年、日本における殺人事件の数は低水準にある。「そんなはずはない」と思う方もいるかもしれないが、事実である。図1は、警察庁の統計をもとに、殺人の認知件数(警察が把握した事件数)の推移を示したものだ。1960年頃までは、毎年ほぼコンスタントに2500~3000件の殺人事件が発生していた。認知件数のピークは、54年の3081件である。ところが、その後殺人は長期にわたって減少傾向をみせ、88年にはピーク時の半分、2010年代にはピーク時の3分の1にまで減った。21年には874件と、過去最少を記録した。

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 警察庁の統計には、未遂の事件も含まれている(20年だと3分の2が未遂)。そこで、別の統計も参照しておく。厚生労働省発表の「人口動態統計」には、死因別の死亡者数の値が含まれる。これに基づき、他殺(殺人や傷害致死)による死亡者数の長期的推移を示したのが、図2である。ピークは1955年の2119人。その後減少するのは図1と変わらないが、よりドラスティックな減少だ。史上最少は2020年の251人である。実際に殺害された人の数は、現在、ピーク時の8分の1未満で、ゼロ年代以降の変化だけをみても、00年には768人だったから、過去20年で3分の1の水準にまで激減したのである。

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 無差別殺傷についてもみておこう。図3は、「通り魔殺人」の認知件数の推移である。警察庁が、だれもが自由に通行できる場所で起き、犯人に確たる動機がなく、不特定の人が被害対象となる事件をカウントしたもので、未遂も含めた統計だ。

 この図から、通り魔殺人は毎年数件程度起きていることが確認できる。読者の実感と合わないかもしれないが、これはおそらく未遂事件が報道されにくいこと、そして既遂でも被疑者に重い精神疾患があるなどの理由で報道が抑制される場合があることと、無関係ではない。ゼロ年代以降だと、08年の14件が目立つが(秋葉原で無差別に7人が殺害された事件が起きた年だ)、翌年には4件になるなど、変動が激しい。事件数の推移に法則性はない。

 筆者が強調したいのは、無差別殺傷についてもゼロ年代以降の事件数がそれ以前より多くなっているとはいえないということだ。むしろ1980~85年の6年間の事件数の合計(56件)は、93年以降のどの6年間をとった場合よりも多い。無差別殺傷という殺人の形態は、特に現代的な事象ではないのである。殺人事件の被害者が現在の数倍いた時代があったと先に述べたが、その時代にも通り魔殺人は当然あっただろう。新聞記事データベースを検索すれば一目瞭然である。たとえば『読売新聞』でタイトルに「通り魔」を含む社説は、これまで6回書かれている(64年・81年〔2回〕・88年・93年・99年)。88年の社説にはこうある。「確かな動機がなく、理由もわからないまま、一瞬のうちに凶行に走る通り魔事件は後を絶たない」。

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