岡邊 健 ゼロ年代以降の殺人を犯罪学から読み解く

岡邊 健(京都大学大学院教授)

人々が感じる犯罪不安

 統計からみれば、日本の犯罪情勢は、現在がもっとも良好である。しかし、人々の実感はこのようなデータとは大きくずれているようだ。内閣府が最近結果を発表した世論調査によれば、「ここ10年」の日本の治安の実感に関する質問(4択)に10%が「悪くなった」、45%が「どちらかといえば悪くなった」と回答している。過半数の人は、日本の犯罪情勢が悪化していると捉えているのだ。

 実態と認識がこのようにずれている理由は、どこにあるのだろうか。二つ指摘しておきたい。ひとつはマスコミ報道の影響である。たとえば新聞なら、発生する殺人事件の件数が減少したとしても、殺人事件の記事数が減っていくわけではない。犯罪学者の浜井浩一氏は、主に80~90年代を対象に、連続幼女誘拐殺人事件、地下鉄サリン事件などにより報道量が爆発的に増加したことを明らかにしているが(『実証的刑事政策論』岩波書店)、このような報道の傾向は、ゼロ年代以降の事件についてもそのままあてはまるであろう。

 もうひとつの説明は、犯罪が少なくなると、かえって一件一件の犯罪の情報に敏感になるということである。これについては、統計データ分析家の本川裕(ほんかわゆたか)氏が、ウェブサイトで興味深い論を展開している(『社会実情データ図録』「治安の良い国・悪い国」2018/8/3)。主要国全体でみると、殺人発生率が高い国ほど人々の犯罪不安は高いが、殺人発生率のもっとも低い10ヵ国程度に限定すると、犯罪不安との相関関係がなくなるか、むしろ「殺人が少ないほど犯罪不安が高い」という逆の関係性がみられるというのである。

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