谷口功一 夜のインフラ、ラウンジの現在

谷口功一(東京都立大学教授)

ピンチをチャンスに変える経営

 可奈さんは、茨城県鉾田(ほこた)市出身。高校卒業後、母が美容院を経営していたこともあり、地元の専門学校で美容師の資格を取った後、22歳の時にアイドルを目指して東京に出てきた。水商売の世界に入ったきっかけは、バイトの給料を道に落として家賃が払えなくなってしまった時、渋谷の交差点でスカウトに体験入店を頼んだのだが、大雨の日でどこも雇ってくれず、新小岩のキャバクラに何とか滑り込んだことだという。この時の恩義を忘れず、当時住んでいた成増(なります)から1時間半かけてその店に2年間通い続けた。その後、中目黒、赤坂、上野と夜の街を渡り歩き、6年前、30代前半で銀座にやってきた。新小岩の頃から仲の良かったママが銀座に構えた店で、働き始めたのだった。

 蓄えもできた19年の歳末、念願の自分の店を銀座で出すべく不動産契約も結んだが、そこにやってきたのがコロナ禍だったのである。緊急事態宣言の発出などにより、なかなか開店することができなかったが、20年6月1日、ようやくオープンにこぎつけた。

 とはいうものの、繰り返される緊急事態宣言やまん延防止等重点措置のため、満足な形で店を開くことのできない日々が続き、コロナ禍のあいだは、少しでも従業員に支払う給与などの足しになればと、素性を隠して鯛焼き屋でアルバイトをしたり、上野のキャバクラに短期で勤めたりもしたという。鯛焼き屋ではバイトのLINEグループに入れられそうになったこともあり、「あの時はまいりましたね。銀座でママやってるなんて言えませんからね」と可奈さんは笑うのだった。

 本当の意味で普通に営業できるようになったのは22年2月くらいからで、銀座の店としてキチンとした売り上げが立ち始めたのは同年の10月以降くらいからだったと言う。現在では繁盛しているラウンジ「花香」だが、よくぞコロナ禍をかいくぐって生き残ってきたなという感慨は、客のひとりとしてひとしおである。

 可奈さんはコロナ禍にまつわるアレコレも、今にして思えば悪いことばかりでもなかったと話す。最初から盛大なオープニングを飾って始めるよりも、少ない人数のお客さんを相手に練習させてもらったことは、むしろ自分にとって良かったと。「コロナ禍のおかげでママとしての準備時間をもらえたかもしれない」と言う。

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