岩田健太郎 合理的にリスクを取って豊かな日常生活を

岩田健太郎(神戸大学都市安全研究センター教授)

リスクを知ったうえでの自己判断

 新型コロナウイルスに話を戻すと、自分はワクチンを絶対に打たないという考え方の人もいるが、これも基本的には価値の交換の問題である。自分自身で受けたほうがよいと思えば打てばよいし、打ちたくなければ打つ必要はない。ただし、医学上の大きなメリットがあるワクチンを誰でも自由に受けられるような仕組みを、政府が提供する必要はある。

 ワクチンのリスクはゼロではない。一定の割合で副作用が起きるので、そのリスクを踏まえたうえで打つ。その時に必要なのが「インフォームドコンセント」である。

 リスクがあることを知ったうえで、自分の責任においてワクチンを打つのが原則なのだが、日本人の場合、お上に言われたから打つという人が少なくないようである。誰かに決めてもらうほうが楽だし、自分で責任を取らなくてよいからだろうか。しかし、本来は人任せにするのではなく、自分の意思で決めるのがあるべき姿だと思う。

 ワクチンに限らず、手術や化学療法、放射線療法などを用いる積極的治療をするかどうかについても、基本的には自分で決めたほうが納得できるはずだ。「先生の言う通りにします」という態度では、医師と適切なコミュニケーションがとれなくなってしまう。これでは、患者さんにとっても医師にとっても納得できない結果になる可能性があると思う。

 もちろん病気の治療については、素人が勝手に決めるより専門家のアドバイスを聞いたほうがいいのは言うまでもない。医療に限らず、家を建てる、車を買う、学校を選ぶ、金融商品を買うといった場合も、専門家のアドバイスを聞いて一緒に決めるのがいいのと同じだ。そのうえで、最終的には自分で決めることが大切だと私は考えている。

 そのためには情報開示が非常に重要だ。例えば、アメリカでは、新型コロナワクチンを接種した人の副作用の発現をリアルタイムでモニターし続けているし、それを自動的に解析してCDC(アメリカ疾病予防管理センター)のホームページ上で公表している。そして、ある一定の基準より多くの副作用が確認された場合には、自動的にアラートを鳴らすようになっている。

 ところが、日本にはアメリカのような情報公開の仕組みがなく、公開のための明確なルールもない。だから新型コロナワクチンの副作用に関する情報もちょっと出してみたり、出さなかったり、その場その場の雰囲気で決めているように見える。それが国民の不安や不信を招くことになるし、各自が自分で判断することを妨げる遠因にもなっているのではないだろうか。

 これはコロナワクチンの副作用に限らない。情報公開の基準とシステムを作ることが情報への信頼を高めるし、自分で判断できるようになることにも繋がっていくと思う。

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