【追悼】稲盛和夫さん「哲学なきベンチャーは去れ」
出資金に身の引き締まる思い
ベンチャーとは名前の通り、非常にリスキーなものです。だから、これまで難関大学を卒業し、周囲からも期待されるような優秀な人材は、優秀であればあるほど安定した大企業に入って安泰に暮らしていきたい、とてもベンチャーなんて危険なものに人生は賭けられない、というのが日本の社会でした。したがって、ベンチャービジネスを興そうなどという人は、どちらかというと無謀というか、やんちゃな人が多かつた。もっと言うならば、いい会社に入れず、はみ出した人たちが「どうせ一流企業に入れないなら、事業でも興そうか」というのが現実だったでしょう。
しかし、冒険心にはあふれている。ベンチャービジネスには、それが必要なのです。そしていったん事業を興したならば、冒険心に加えて、細心の注意力と人間としての謙虚さが要求される。ここが大事なのです。私がベンチャー経営者として学んだのは、経営者は「全人格を問われる」ということでした。経営者としての「全人格」のバランスを崩した結果が、一部に見られる凋落をもたらしたといえるでしょう。
ベンチャー経営者として「全人格」をいかに磨いていくか。私の経営者としての人生は、まさに「全人格」の追求であったと思います。その経験を語ることが、ささやかなりとも、現下のベンチャー再生に役立つのであれば、これに勝る喜びはありません。
私も社会人人生はサラリーマンとしてスタートしました。大学を卒業した昭和30年というと、特需をもたらした朝鮮戦争が終わって大変な不況。未曾有の就職難でした。私自身、地方大学の出身でもあり就職先がない。やっと半分つぶれかかった会社に入社できたのですが、とたんに技術的な問題をめぐって上司と衝突してしまいました。あまりに理不尽な物言いをされ、腹立ち紛れに「それなら辞めます」と言ってしまったのです。
私は九州男児ですから、「男が一度、口に出したら撤回はできない」と変な侠気を出して本当に辞めてしまった。で、どうしたものかと思っていたら、周囲の人たちが、「このまま君の技術を埋もれさせてしまうのはもったいない」と言ってくださって、会社を作ることになったのです。正確に言うと、作っていただいたと言ったほうが当たっています。だから、私の場合は本当のベンチャーといえるのかどうかわかりません。