【追悼】稲盛和夫さん「哲学なきベンチャーは去れ」

稲盛和夫(京セラ名誉会長)

苦労して集めるからこそお金は生きる

 

そんなわけですから、起業しようにも一銭も持っていない。周りの人たちがお金を出し合って300万円の資本金を作ってくれたのです。それだけではもちろん、事業はできません。そこで支援者のなかの宮木電機の西枝一江専務が、自分の家屋敷を担保に入れて1000万円のお金を作ってくださった。そのお金で今日の京セラのスタートを切ることができたのです。いまでも、西枝さんの言葉は忘れられません。

「いま1000万円を銀行から借りてきた。稲盛さん、これを使いなさい。ところで稲盛さん、事業というのは難しいものです。成功するのは千に一つどころか、万に一つあるかどうかです。あなたが失敗すると私も家屋敷をすべて失う。このことは家内に言った。『お父さんが稲盛さんに惚れたのならいいじゃありませんか』と家内も言っている。あなたに私は賭けたのです」

これはもう、身の引き締まる思いなどというものじゃありません。私も貧乏人のせがれでしたから、お金というものがどれほど大事なものか、怖いものかということは身にしみてわかっていました。父親は戦前、そこそこの規模の印刷屋をやっていたのですが、これが慎重居士を絵に描いたような男で、戦争で全部焼失してしまってからは、とても戦後の混乱期に再建をはかるようなベンチャー精神なんてない。ましてや事業のために借金するなんてとんでもないという考えの持ち主でした。

そんな親父の血を引いた息子でしたから、家屋敷を抵当に入れて作っていただいた1000万円なんて、もう空恐ろしくて、大変なことになったと思いました。ましてや事業が成功するのは万に一つの確率と言うではありませんか。それこそ、身を削る修行僧のような姿勢で経営に当たっていかなければ、出資者、株主の方々に申し訳が立たないと心の底から思いました。

以来、その後の数年間はその借金を返すために必死の格闘が続くのです。私が「必ず返します」と会う度に言うものですから、西枝さんが祗園の飲み屋さんに私を誘いだしては、親子ほど違う私をこう諭されたものです。

「稲盛さんね、そんな返さんならん、返さんならんと言ってるようでは、いい技術者ではあっても、いい経営者にはならんよ。お金というのは借りて、さらに借りて会社を大きくしていくのであって、あんたのようなことでは、とても会社は大きくならんわ」と。

それでも私は会う度に、「返します」「返します」と言い続けました。それぐらい、お金というのは苦労して手に入れなければならないものなのです。このことは、ぜひともいまの若いベンチャー経営者に言いたい。お金をイージーに調達できたのでは、まともなベンチャーにはならないのです。新しい技術や事業を開発するのが困難なように、苦労して集めるからこそお金が生きてくる。それが事業の新たな発展の土台を築くのです。大量の資金がイージーに集まると、そこからすべてを甘く見てしまいます。ここに現在のベンチャーが迷走する大きな要因があるのではないでしょうか。   

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