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ザブングル・松尾の引退とM-1グランプリから見た芸人界の変化

西澤千央(フリーライター)

ザブングル・松尾の花道?

 先日、とある芸人の引退が話題となった。ザブングル。芸歴二二年、ワタナベエンターテインメント所属。特徴的な風貌を生かしたキレ気味なボケを連発する加藤と、それに粛々とつっこむ「ザ・ふつうの人」然とした松尾のコンビは、サンドウィッチマンが優勝した二〇〇七年にM─1の決勝進出(上沼恵美子は92点と高評価)、プチブレイクを果たした。しかし大ブレイクとまではいかず、「悔しいです!」と叫ぶ加藤のギャグと、松尾の致命的な運動神経のなさでバラエティにはそれぞれ不定期に呼ばれるコンビ......という時代が長く続いた。もちろんそれだけでもすごい。テレビに一度も出ることなく消えていく芸人など山ほどいる。去年大ブレイクを果たしたお笑いコンビのかまいたちは、大阪時代の自分たちのことをこう語っていた。

「3年目ぐらいで、15万~25万くらいもらえるようになって、でもそれが長かった。超つらい下積み時代みたいなのは特にないんですけど、かといって売れることもなく、ずーっとストレス抱えてたのはありましたけどね」「なんですかね、一番どろっとしたところにおったっていう」(『クイック・ジャパン』vol.151)

 バイトをせずとも生活はできる。ただ何かが違う。この「どろっとしたところ」というのが、芸人にとって最もキツいゾーンなのかもしれない。ザブングルもプチブレイク後、その「どろっとしたところ」にもう何年もいたのかもしれない。そして彼らは決断した。ザブングルは解散し、加藤はピン芸人として残り、松尾は芸能界引退を発表した。

 ここまでなら、よくあるコンビの解散、芸人の引退である。驚いたのは、人気トーク番組「アメトーーク!」(テレビ朝日)が松尾の引退を番組の企画にしたことだった。番組内の人気企画「運動神経悪い芸人」にて、出演者の中でも並外れて運動神経が悪かった松尾は「ガチ王」と呼ばれていた。特に水泳では、泳げば泳ぐほど後ろにさがる、息継ぎのたびに顔が真上に向く独特のクロールなどで「水神様」の異名も取った。

 四月一日放送の「アメトーーク!」では「さよならガチ王」と題して、過去の名場面を振り返り、多くのゲストがその功績を称えた。決して「誰もが知る」コンビではないザブングルの、さらに「じゃない方」の松尾がセット中央に設けられた玉座につき、現在のテレビバラエティで一、二を争う人気番組で主役となっていた。

 会社の送別会みたいだなと、その時、思った。送別会では、誰であろうと去っていく人が主役だ。もちろん松尾は「運動神経悪い芸人」における功労者だが、それ以上に「仲間をあたたかく送り出したい」という番組側の意識を感じるのである。そこには芸人の引退にネガティブな要素は全くない。もちろん本人にしてみれば、引退は「やむを得ず」なのかもしれない。きっと未練もあるだろう。しかし大々的なミスを犯して去るわけでも、自然に消えていくのを待っているわけでも、体力的な限界でもない。自発的かつ、ポジティブな区切りのつけ方を、芸人が選択できるようになっている状況の変化がそこにある。

 さらにそれをテレビがはなむけとして企画にする。ザブングル・松尾の引退は、そういう点でものすごく象徴的だったのだ。朝の情報番組で中堅芸人がMCを務めること、知られざる芸人の引退を番組として華々しく扱うこと。それはまさに芸人と一般社会の「壁」がなくなりつつあることに他ならない。芸人は一つの「職業」として選択され、肌が合わない人は別の職業を探すだろうし、それは別にネガティブなことではないのである。一般社会の「転職」がそうであるように。

 一人の芸人の引退は、いま芸人界と一般社会の「壁」がなくなりつつあり、それらが地続きになってきていることを私たちに示しているのである。

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