恩師と教え子が語る、原一男監督の教え。「カメラは必ず正面から撮れ」とは真逆の行動をした理由

満若勇咲監督×小林佐智子さん 『「私のはなし 部落のはなし」の話』刊行記念トークセッション
取材文・撮影=朝山実
(左)満若勇咲監督(右)小林佐智子さん(シネマ・チュプキ・タバタにて。撮影=朝山実)
2023年5月のGW、東京・田端の小さな映画館「シネマ・チュプキ・タバタ」で『私のはなし 部落のはなし』再上映に併せて催された7日連続のトークセッション。満若監督が掲げたテーマは「ドキュメンタリーを盛り上げたい」。そのうちの3回のレポートを掲載していきます。
第2回のゲストは、満若監督が在籍していた大阪芸術大学時代の恩師で、原一男監督作品のプロデューサーでもある小林佐智子さん。(司会:「シネマ・チュプキ・タバタ」柴田笙氏)

ドキュメンタリーをやろうと思ったきっかけ

満若 お会いするのは10年ぶりくらいで。

小林 満若さんは全然変わらないですね。学生さんだったころとねえ。作品を観ると、こんなにも完成度の高い作品に仕上げられていて、びっくりしたんです。きょう、もう一回観直したところですが。次から次と登場人物が出てきて「はなし」に引き込まれる。

司会 この映画『私のはなし 部落のはなし』は、学生時代、原一男さん、小林さんから助言をいただきながら在学中につくった『にくのひと』という前作があってのことだとうかがっています。そのあたりの話をうかがえますでしょうか?

満若 わたしはまず大阪芸術大学という、大阪と奈良の県境の地にある大学の映像学科にいて、三回生のときにドキュメンタリーコースに進んだんですね。そのときの先生が原一男さんと、小林さんでした。

当時、ドキュメンタリーをやろうと思ったのは、原一男監督の『ゆきゆきて、神軍』を観て、劇映画じゃなくてドキュメンタリーでこんなに面白いものが作れるのかと衝撃を受けたんですね。ちょうど劇映画のシナリオを書こうとはしたもののまったく書けなくて、自分には映画づくりは無理だと思いかけていたときでした。

ドキュメンタリーという、自分の外にあるものから物語をつくるのであれば自分にも映画を作れるかもしれない。そう考えて、二回生の終わりごろに原さんのところに行って、四回生の授業に混ぜてもらったりしました。

そのときから、食肉センター、屠場を撮りたいとは原さんにも言っていて。そのころのこと、小林さん、覚えていらっしゃいますか?

小林 もちろん、もちろん。

満若 それで三回生になり、『にくのひと』の撮影をはじめて、撮ったラッシュ(編集前の映像)を夏休み前の授業で一回、原さんに見てもらったんです。「これは露悪的にしてはいけないよ」と言われたことは覚えているんですが、それ以降、具体的なアドバイスをいただいたことは、当時あまりに必死だったので覚えていないんですね。そのあたり、逆にご記憶ありますか?

小林 そうねぇ。原さんはあまり、ああしろこうしろとは言わないひとだからねえ。

満若 そうなんですよね。なので、ぼくは小林先生から書き起こし(撮影した映像の中の会話や場面の説明を文字化する)のやりかた、資料のまとめ方といった具体的なことを教わって、これはいまでも役立っているんですよね。

小林 ふふふふ。ああ、そうですかあ。

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