恩師と教え子が語る、原一男監督の教え。「カメラは必ず正面から撮れ」とは真逆の行動をした理由
将来、何をやらかすんだろうと思いながら見ていた
シネマ・チュプキ・タバタにて。撮影=朝山実
小林 ああそうですか。今回、この映画についての本(『「私のはなし 部落のはなし」の話』)を出されたでしょう。そこにもそのあたりことが書いてありますよね。
わたしたちがドキュメンタリー映画を始めたときには、従来のやり方をまず全部否定する、自分たちはこうやっていくんだというのを出していくところから始める。そういう時代でもあったんですよねえ。だから、この本を読んで、逆にわたしたちのほうが、綿密に考え考えしてつくっていくということに関しては素人だったかもしれないなあと反省しました。
満若 いえいえ。
小林 でも、当時、将来このひとは何をやらかすんだろうと思いながら見ていたんですよね、満若さんに対しては。たとえば、海外に行って人質になって帰ってきたひとのことをやりたいとか、いっぱいやりたい話をしていましたよね。
満若 そうですね。
小林 それで、いまでもかわいいんですけど、当時はもっとかわいくて、そういうギャップもあって、どんなことをやらかしてくれるんだろうかと楽しみにしていたんですよね。
満若 そんなに当時とがっていましたか? 原さんが大学で教える前にアテネ・フランセでやっていたドキュメンタリーの私塾みたいなものの受講生と、現場で出会うことが多くて。どうも、そういう卒業生の人たちが話す原さんの姿と、大学でぼくが見ていた原さんとが合致しないんですよね。この前もゲンロンカフェで、原さんが大島新さんたちと話しているのを見たんですが、下ネタを必ず最後に言うとおっしゃっていました。だけど、ぼくは、原さんから下ネタを言われたことがじつは一回もなくて......。
小林 そうね。言わなかったよね。
満若 だから、それは人を選んで言っているんだと思いましたけど。
小林 あれは原さんのサービス精神なんでしょうねえ(笑)。昭和の男の人の感覚で、あれ、いまでも言っちゃうから。ヤバイんじゃないのというのはありますよ。