恩師と教え子が語る、原一男監督の教え。「カメラは必ず正面から撮れ」とは真逆の行動をした理由

満若勇咲監督×小林佐智子さん 『「私のはなし 部落のはなし」の話』刊行記念トークセッション
取材文・撮影=朝山実

監督とプロデューサーの分担は?

満若 ぼくも、つくづく原さんにはなれないなあと思ったんですね。『水俣曼荼羅』を観て、原さんのようにカメラを回しながら相手のひとから初夜の話を聞くということは僕にはできないし、そもそもそういう質問が浮かんでこない(笑)。そこは原さんとはちがうし、原さんの模造品になってはいけないと思ってきたんですね。尊敬するからこそ乗り越えねばならない存在である。そんなふうに。

小林 この時代だからこそというか、いまは満若監督が撮る、こういう作品が求められているんだと思います。わたしたちがつくった『水俣曼荼羅』は6時間以上あるんですよね。満若さんのこれは3時間25分ですが、自分で観て本当に「あっという間」だったので、はじめて自分たちの映画を「あっという間だった」と言ってくだったひとたちの感想が初めて信じられました。ずっと「まさかあ」と疑っていたんですよね。

満若 ぼくも6時間、あっという間でした。あの映画は原さんの力わざというか、腕だと思いました。

それで、小林さんの本を読んでお聞きしたかったことがあるんですが。原さんと小林さんは監督とプロデューサーというふうに仕事を分けられていますが、具体的にどのように分担をされていたのか。学生時代、おふたりから教わりながらよくわかっていなかったんですね。 この本のなかでは、制作資金のやりくりについては実に克明に書いてあるんですが。

小林 ああ、そうですねえ。昔からふたりで常にディスカッションをしていました。というのも、そういう時代だったというのもあって。あっという間に大学ノートが真っ黒になってしまう。それも数冊。誰がどういったのか。すべて書きだし、重要なところに線を引いていくんですよね。

満若 それはテーマごとに。

小林 そうそう。というのも、いまはデジタルですけど、フィルムの時代ですからとにかくお金がかかる。簡単に回せないものだから、「この240秒に何をこめるのか」ということに必死でしたよ。『さよならCP』や『極私的エロス・恋歌1974』の時代は、もう何回も何回も構成を書き直すんです。

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