ブルース・リー没後半世紀、日本で人気が衰えないわけ

ちゃうシンイチー(ブルース・リー研究家)×中島 恵(ジャーナリスト)

東洋人でも裸になっていい

ちゃう 90年代にインターネットの時代が始まり、アメリカの情報も容易に入手できるようになった。すると、ブルース・リーは60年代から武道家としてアメリカでは知られた存在で、たくさんの弟子がいたとか、その後に香港でスターになったとかいうことが、実際に彼と関係があった人たちの声を通して見えてきた。

 また、それまで男の裸というと、チャールトン・ヘストンやカーク・ダグラス、チャールズ・ブロンソンといった、僕たち日本人には絶対に真似できない骨格や筋肉の質を持った俳優ばかりだった。ところがブルース・リーには、「君らにもできるんだよ。東洋人が上半身裸になってもいいんだ」という覚醒作用みたいなものがあった。


中島 ブルース・リーのあの顔と肉体美と黒いパンツというスタイルは唯一無二です。お母さんがイギリス人と中国人のミックスと言われ、イケメンではあるものの、パッと見てすぐに何人とは言えないような不思議な顔立ちをしている。西洋人のマッチョとは違う東洋人のかっこよさがありながら、実際には日本にも中国にもいない。私たちの西洋に対する劣等感のようなものが、ブルース・リーへの眼差しに投影されていたのかもしれません。

 背は172センチぐらいでそれほど高くはないけれど、とにかく筋肉がすごいですよね。


ちゃう 実際にあつらえて着ていた服を見ると、ものすごく細くて小さいんです。菊池武夫がデザインしたものもありました。

 ブルース・リーはある意味で「革命家」でした。残したものの大きさは計り知れませんが、その一つを挙げるとすれば、東洋人の可能性を開いたことがあると思います。

 彼より前の東洋人の頂点は、三船敏郎でした。三船のかっこよさはどちらかというとアラン・ドロンやチャールズ・ブロンソンらに通じる前時代的なものです。髷(まげ)を結い、刀を持った三船が、日本人が知らないところで東洋人の良いイメージを西洋に与えていたのは間違いありません。一方、ブルース・リーには「次の時代が来る」という空気があり、特にアメリカにおける東洋人のイメージを塗り替えていった。裸になり、余計なものがどんどん取れて、ソリッドになっていった感じがします。


中島 中国の京劇が専門で、中国文化に非常に詳しい明治大学教授の加藤徹先生は、江戸時代の日本で『三国志』ブームが起こったのは、日本にいなかったタイプのスターとして三国志のキャラクターが受け容れられたからだと言っています。ブルース・リーにも同じようなことがあったのかもしれません。


ちゃう それもあったと思います。


(続きは『中央公論』2024年4月号で)


構成:戸矢晃一

中央公論 2024年4月号
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ちゃうシンイチー(ブルース・リー研究家)×中島 恵(ジャーナリスト)
◆ちゃうシンイチー〔ちゃうしんいちー〕
1965年大阪府生まれ。本名・原真一。78年公開の『死亡遊戯』からブルース・リーに熱中。2007年よりブルース・リー同人誌『小龍記』を発行中。『傑作カンフー映画ブルーレイコレクション』『燃えよ!ブルース・リー猛龍伝説』『ブルース・リーに愛を込めて』などに執筆参加。

◆中島 恵〔なかじまけい〕
1967年山梨県生まれ。北京大学、香港中文大学に留学。主に中国の社会事情を取材。著書に『なぜ中国人は財布を持たないのか』『日本の「中国人」社会』『中国人のお金の使い道』『いま中国人は中国をこう見る』『中国人が日本を買う理由』など。
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